●弥勒 みろく
アジア インド AD270
270〜350年のインドの仏教哲学者で,仏教の唯識説を説く唯識派の開祖。後に弥勒菩薩と混同された。彼の著書には次のものがある。(1)『瑜伽師地論』,(2)『大乗荘厳経論』,(3)『中辺分別論』,(4)『現観荘厳論』,(5)『法法性弁別論』,(6)『究竟一乗宝性論』など。このうち漢訳されているのは,(1)(2)(3)(4)であり,チベット訳されているのは,(4)(5)(6)である。(2)(3)(4)(5)(6)には梵本がある。(1)の『瑜伽師地論』は玄奘の訳であり,その一部には梵本があり,『菩薩地持経』『菩薩善戒経』と漢訳された。(6)『究竟一乗宝性論』はチベットでは彼の著だが中国では堅慧の著作となっている。また,チベットでは(1)を除いて5部と伝えられるが,中国では(4)以下を除いて『分別瑜伽論』と『金剛般若波羅蜜経論』が挙げられている。これらのなかで唯識論が初めて体系化されたが,それは後期大乗仏教の中心的な思想となった。また彼は心識の研究に新方面を開拓した。自性清浄心や仏身に関する探究がされており如来蔵縁起説が論じられている。彼の研究は弟子の無著が継ぎ,さらに世親が出て一大系統にまとめ挙げられ後世に多大な影響を与えた。【弥勒菩薩】サンスクリットでマイトレーヤ。慈氏と訳す。神話的な伝唱とともに古くから広く信仰されている菩薩である。それによると,弥勒は,初め南インドに婆羅門として生まれるが,やがて天上に生まれて天上の内院にある。そして将来はこの世に姿を現し,釈尊の処を補って千仏中の第5仏となるのだと言う。そのため補処の菩薩とも言われる。弥勒の出現は,釈尊の滅後56億7,000万年の後,人寿8万歳のときであり,竜華樹のもとで悟りを開き釈尊の説法にもれた衆生を救うと信じられている。そのときこの世は栄え,人々には疾病の苦悩もなく転輪聖王が理想政治を行うと考えられた。これは弥勒信仰のうち下生信仰と呼ばれるもので,もう一つ上生信仰と呼ばれるものは弥勒の浄土である兜率天に上生することを願うものである。これらは『弥勒下生経』を初め多くの経典・論書に記してあり,人々は当来仏として弥勒の出現を信じ待ち願うようになり,弥勒信仰はインド・中国・日本に広まり篤く行われた。
とくに中国では,古来から存在した民間宗教でも天の命を受けた天子の出現が信じられていたため,弥勒の下生信仰は受け入れられやすかった。したがって,それを利用し弥勒の化身と称したり,弥勒下生を説いた宗教的反乱が,隋・唐以来しばしば起きている。515年の北魏で起きたのを初めとし,隋の煬帝の時代にも起きている。唐の則天武后も下生信仰を利用した。玄宗皇帝の時代には反乱があり,北宗・南宗のころになると多くの宗教結社が生まれた。また,弥勒・弥陀信仰は南北朝から合わせて行われ,宋代からは民間信仰も加わった。そのなかから白蓮宗と弥勒教が混合して白蓮教が生まれ,弥勒下生を説く教徒は紅巾の乱を起こすようになる。
このように弥勒信仰は変転したが,日本においては数々の優れた弥勒菩薩像・曼荼羅・下生図・来迎図を生み出した。飛鳥時代のものでは広隆寺の弥勒菩薩半跏像があり,奈良時代に当麻寺の『弥勒仏坐像』,平安時代に丹生都売神社の『弥勒仏坐像』,鎌倉時代では『弥勒仏坐像』がある。そのほかに法隆寺・東大寺・薬師寺・唐招提寺などにもあり,多くが国宝に指定されている。なお,弥勒菩薩の伝唱に,無著が大乗仏教の教義に通達できず兜率天に上って弥勒菩薩に請問し,唯識経の経典である5部の大論と体系を授けられたというものがある。これは師への尊敬から弥勒と弥勒菩薩を混同したのであろう。
【弥勒経(みろくぎょう)】弥勒菩薩について説明したもの。『弥勒下生経』『弥勒大成仏経』『弥勒来時経』『弥勒上生経』などがあり,それらを総称して言う。
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