●未来派 みらいは
ヨーロッパ イタリア共和国 AD
1909年イタリアの詩人マリネッティの未来派宣言に,ミラノの三人の画家ボッチオーニ・ルッソロ・カルラが呼応し,パリ在住のセヴェリーニ,ローマのバルラも参加して翌年未来派画家宣言をミラノで発表し,1911年には末来派彫刻宣言を発表した。趣旨は伝統の沈滞を打破し美術館の陳腐を清算して,速力・動感・騒乱から美を創り出し,新しい機械時代のダイナミズムを表現することを企てるというのであった。1912年2月にはパリで第1回展覧会を開き,テーマとして常識的視覚からの解放,「人の記憶するもの」と「人のみるところのもの」との画面における総合,動的感覚の表出などをめざし,たとえば走る機関車の姿は勝利の女神ニケよりも美しいとか,走る馬を描くには足を20本描けばその動態が表現できるなど,解体した形態を力学的に結びつけ,ダイナミックな芸術を創り出せると主張・実践したため画壇に一大反響を巻き起こした。大正時代に日本にも波及した。