●三善康信 みよしやすのぶ
アジア 日本 AD1140 平安時代
1140〜1221(保延6〜承久3)鎌倉幕府の初代問注所執事。母が源頼朝の乳母の妹であったため,伊豆国に流罪中の頼朝に,京都の情勢・朝廷や平氏に関する動向を逐一報告していた。1184年(元暦1・寿永3)頼朝の招きで関東に下り,1191年(建久2)初代問注所執事として裁判事務の責任者となった。大江広元とともにいわゆる京下り官人の重鎮として活躍。頼朝死後,源頼家の政治手腕に不安を抱いた13名の御家人代表による13名の合議による裁判にも参加。1221年(承久3)承久の乱には重病の床から会議に列席,大江広元の即時出撃論に共鳴・支持した。後鳥羽上皇の義時追討の院宣に浮き足だった御家人の動揺を鎮静させたのは,公家朝廷の性質を熟知した二人の京下り官人の洞察力であったと言える。同年,承久の乱後に没した三善氏は,本来,明法・算道の家柄で太政官の書記官役を世襲する中級貴族である。