●明珍 みょうちん
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中世,武士の台頭とともに武具の製作が大いに興り,12世紀には甲冑師としての明珍が一派を成して製作に従事した。室町時代には明珍の分派が鐔工を形成,以後鐔工芸を中心に力強い活動を続け,世界文化史上稀有な日本的美術工芸を確立することになる。鉄の板鐔に木目肌を付し,小形の木瓜形・角耳・厚肉の鐔作に特徴がある。意匠・図様ともに創意工夫が重ねられ,実用の具であるとともに商品化しながらも質を下げず斯界に重きをなした。17代信家は室町時代末の人。中興の祖とも言うべく,鐔作の明珍としてその地位を不動にした。正系は京都,その他越前・上野・常陸・相模に分派を有し,鎌倉には雪ノ下派がある。桃山時代を全盛時とするものの,寛文から元禄・享保ころにかけて22代紀宗介が,子の宗正・孫の宗政らとともに活躍した。この時期活動の中心は江戸にあり,水戸・仙台・姫路・庄内などでも活動したとされる。