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●名主 みょうしゅ

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 11世紀半ばごろから文献に現れ始め,公領・荘園における徴税単位としての名の経営を請け負って,所当官物(租の拡大したもの)や雑公事(調・庸の変化したもの)を貢納した有力農民。班田制の崩壊に伴い,口分田や賃租契約の乗田などを合わせた負名の経営を請け負い,所当官物雑公事を納めて負名の田堵と呼ばれていた有力農民は,1045年(寛徳2)・1075年(延久2)の荘園整理令によって国衙領と荘園の区分が進み,荘園の国衙からの自立化(一円不輸化)が広まるに伴って,農民の荘・公帰属問題が激しく争われるようになると,負名に自分の名前をつけて何々名と呼び(名田制の成立),彼ら自身は名主と呼ばれるようになっていった。荘園制度が本格的発達を遂げた院政時代,名主の名田に対する請負権が職(名主職)として公認され,子孫に相続されて地主的所有権の性格をもつようになると名主職の所有者を名主と呼ぶようになった。名主職の分割相続や売買譲渡が行われるようになった鎌倉時代末から南北朝時代にかけて,三分之一名・四分之一名の請負人として現れ,当名主・番頭などと呼ばれる階層の中小名主が増えていった。また,かつては名主の大経営下に包みこまれていた下人・所従などの隷属農民が,生産力の高まりによって自立し始めたこの時代,彼らに7反前後の均等な名田を割り当てて経営させ,直接年貢や公事を徴収する領主側の新しい対応策が表れ始め,室町時代以降になると,そうした自立的小経営を営んで名主百姓と呼ばれた小名主層が畿内先進地帯を中心に広範に成長して,旧来の本名主や新興の当名主らを中核(殿原乙名衆)とする村落自治組織(惣)の主体的構成員となっていった。旧来の名主は,平安末期から鎌倉時代にかけて多く武士化を遂げ,その大なる者は郡・郷・保司や荘官・地頭となって在地領主化し,小なる者も小さな保司や下級荘官となって在村の土豪・地侍となった。近世の名主・庄屋の多くは彼らの出である。

〔参考文献〕安田元久『日本荘園史概説』1957,吉川弘文館

工藤敬一『荘園史の人々』1982,教育社

工藤敬一「荘園制の展開」『中世1』日本歴史5 1975,岩波書店

黒田俊雄『荘園制社会』大系日本歴史2,1967,日本評論社

永原慶二『日本封建制成立過程の研究』1961,岩波書店