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●宮崎滔天 みやざきとうてん

アジア 日本 AD1870 明治時代

 1870〜1922(明治3〜大正11)中国革命に献身した革命家・大陸浪人の一人。本名寅蔵。戸籍上は虎蔵。熊本県玉名郡荒尾村(現荒尾市)生まれ。長兄の宮崎八郎や自由民権思想の影響を受け徳富蘇峰主宰の大江義塾に入る。後,東京専門学校・長崎のミッション=スクール「カブリ校」などで学ぶ。兄弥蔵の感化によって中国革命を志し,1891年(明治24)上海,1894年(明治27)タイへ渡る。弥蔵の死後1897年(明治30)横浜で孫文と出会った。この前後,金玉均と交わりフィリピン独立運動を援助した。1900年(明治33)恵州蜂起失敗後,革命運動に関係した日本人間の対立により一時活動から身を引き浪曲師となる。1906年(明治39)東京で萱野長知などと月刊新聞「革命評論」刊行。犬養毅ら日本の政財界人と革命運動の橋渡しの役割を果たすなど,終生,孫文・黄興らの思想を理解しその運動に参画した。1922年(大正11)東京で病没。著書に,半生記『三十三年の夢』『狂人譚』『支那革命軍談』その他新聞・雑誌掲載論文が多数あり『宮崎滔天全集』に収められている。