●宮座 みやざ
アジア 日本 AD
神社の氏子のなかで特定の人が保持する封鎖的な祭祀集団組織。宮座という呼称は近畿地方および西日本とくに九州の一部に限られている。他の地域では,その名称を異にしている。【概括】土地により,神事講・宮仲間・宮講・社人衆・頭仲間・庁参衆・朔幣衆などと呼ばれている。祭祀集団は古代的「氏人団」から近世における「地縁氏子団」へと形式的には幾つもの段階を画定できる変化を見出すことも可能である。宮座はその過程で明確・顕著な形で表現され,これを広義に考察すると,武士団構成に見られる惣領を中心とする同族団的支配から,近世になって地縁的・氏子的な形へと変化するものである。したがって,農村においても惣村的結合の中心をなす農村の中核に乙名層があり,乙名衆とも称しまた年寄・公文等と称するが,十人衆・六人衆といって数はまちまちであり封鎖的な結合をつくって一座を組織していた。それが宮座で,株座的で座席指定のようなものである。これはなにも農村の神社を中心につくられたものだけでなく,都市部の商工業の上でもまた芸能の上でも結座性があり,「一座」を組織している。神社・堂舎中心の祭祀集団組織にも同型のものが存在している。こうしたものは多く武士団同族祭祀の頭の制度を模倣したものであって,民間自生的な組織と考えるのは系譜的なとらえ方でない。これらの系譜は近畿地方に多く伝承されている。先進地型の宮座のタイプということもできる。しかし近世小農=本百姓の成立過程で解体されたという理解もある。そして地縁的な組織へ移行し,村座的なものへと変わっていくと考えられる。中には村落の再編成のなかで,かえって上層農民の結合紐帯を強固にするために宮座を強めたところもある。以上の経緯をふまえて考えると,狭義の宮座の史料は近畿に限られている。広義のものは日本各地に見られる。
【宮座の二つの型】基本型として二つある。[1]株座とか株仲間と言われるもので,村落のなかの有力筋によって構成されている。そこには年預という長老階梯がつくられ,6〜10人位で支配し,宮守(または神主)と称する宮世話役があり,座順帳や会計帳を管理し決める。任期はないが長座を選出する。そして七つの儀礼役を果たす。当家の決め方は通過儀礼的で年齢階梯的である。[2]今一つの型は村座的なもの。左座が右座より高いのは前者と同じだが,それへの帰属は身分(家格)的に固定していない。座員の家系では,不平等・不公平を招かないように努めている。年行司は座入り順に,言い換えると年長順に決められている。右座・左座の双分制は,前者・後者に限らず存在する。基本型はないが変化型がある。これは村落構造の変革期の経過によって違う。地租改正による座田・座林の所有管理主体が座方にあるか村方にあるかによって違う。そして座方と村方の抗争・裁判・沙汰も少なくなかった。しかしその多くのところで,株座が村座化する方向は中世から近世,近世から近代への変革を通じて推進されている。宮座の祭りの担い手も,祭祀長老制がしだいに衰え,吉年(年事)・中年(政治)・祭儀(長老)の世代分担機能があったが,これもしだいに閉ざされた祭儀(秘儀)は長老,開かれた祭儀(祭礼)は若者・若座に変わる方向へ進んでいる。宮座は本来秘(密)儀中心の秘密結社で男子結社であった。その上に,仮面仮装複合の秘儀性をもつものであったがそれもしだいに変化していった。こうしたものは文化人類学的に見ると,母系的イモ栽培民文化とどうつながるか,沖縄の新年祭・海神祭の型とどうつながるかなど,グローバルな比較民俗学的考察が必要であり,中国の南農耕文化とのつながりなど,年齢階梯とのかかわりでその文化変容論的考察も必要かもしれない。中山太郎「血縁=株座先行説」・肥後和男「血縁地縁=株座村座併行説」,岡正雄「非血縁地縁=秘儀祭祀図説」,柳田国男「祖先=氏神氏子説」などが存在する。宮座一つとっても共同体とのかかわり合いを研究しなければならないことが多い。ましてや変容の過程分析にはいろいろな問題がある。
〔参考文献〕肥後和男「近世における宮座の研究」東京文理科大学文科紀要16,1938,(臨川書店復刻版,1973)
肥後和男『宮座の研究』1941,弘文堂
中山太郎「宮座の研究」社会学雑誌6号,1924
柳田国男『氏神と氏子』1947,小山書店(『定本柳田國男集11』,1969,筑摩書房)
原田敏明『村の祭と座』1980,中央公論社