●ミノス伝説 ミノスでんせつ
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
古代ギリシアで形成されたクレタ王ミノスにまつわる伝説。幾多の異説があり,成立の時期も場所もいろいろであるが,神話の世界と歴史の世界の接点に位置し,いわゆる“ミノア文化”(前2500〜前1200年ころのクレタ文化)の名前の由来となった。ホメロスに登場するミノスはゼウスと「フォイニクスの娘」の子であるが,後にはエウローペが母の名とされた。ゼウスは身籠ったエウローペをクレタ王アステリオスに与えた。生まれた子はミノスと名づけられてアステリオスのもとで育てられたが,ゼウスがつねに彼の教育者・保護者であり,彼を王位につけ,アテナイへの復讐を願う彼の祈りに応え,彼を最初の立法者とし最後には死者の審判者に任じた。しかし,このようなゼウスとの親密な関係にもかかわらず,死すべきアステリオスの後継者としてのクレタ王に留まり,神の地位に上げられなかったということは注目に値する。ミノスの歴史的実在性を考察する鍵がそこにあるかもしれない。ミノスはヘリオスの娘パシファエを妻とし,トロヤの勇者イドメネウスの父デウカリオンとアリアドネを得た。後には,アンドロゲオスやファイドラなどもミノスの子と見なされた。ミノスはクノッソスを創設し,宮殿を築いてそこからクレタ全島を支配した。兄弟のうち,ラダマンテュスはミノスと協調して法を司る者となったが,サルペドンは争って小アジアに放逐された。ゼウスが王位争いに干渉し,ミノスに黄金の笏を与えて継承権を保障したと言われている。しかし,ミノスの統治の開始について別の伝説が存在する。それによると,ミノスはポセイドンに祈って,王位継承の証しとして犠牲の雄牛を深海から送ってくれるように願った。海中から現れた牛があまりに美しかったので(雪のような白牛であったと言われる),ミノスはそれを殺さず別の牛を犠牲とした。怒った神は,王妃パシファエが雄牛に恋をするようにし向けた。パシファエはダイダロスのつくった木牛に入って雌牛となり,雄牛と交わって人身牛頭の怪物を産んだ。これがミノタウロス(“ミノスの牛”の意)である。ミノスはダイダロスに命じて迷宮ラビュリントスを造営させ奥深くミノタウロスを閉じ込めた。パンアテナイア祭の優勝者アンドロゲオスがアテナイ人の妬みをかって殺害されたので,ミノスはメガラとアテナイを攻めた。メガラはニソス王の娘スキュルラの裏切りによって落城し,アテナイはゼウスの送った飢饉と疫病によって降伏した。アテナイは,9年ごとにミノタウロスの食べ物として7人ずつの少年少女をクレタに送らねばならなかった。3回目の貢ぎ物にテセウスが加わりミノタウロスを殺して憂いを除いた。後にミノスは逃亡したダイダロスを追ってシチリアに行き,コカロス王の娘たちによって入浴中に熱湯を注びせられて殺された。ゼウスはミノスをラダマンテュスと一緒に冥界の審判者に任じた。このような混乱した伝説のなかから歴史的事実を抽出しようとする試みはすでに古代ギリシアにも存在した。ヘロドトスやトウキディデスはミノスを実在の人物と解し,クレタによるエーゲ海支配を彼に帰している。プルタルコスは,ミノタウロスを怪物ではなくミノス王の将軍の一人とする解釈を伝えている。いずれにしても,立法者ミノスの伝説はかなり高度に組織された国制の存在を暗示し,海賊討伐やアッティカおよびシチリア遠征の話は,クレタとギリシア本土および西方との政治的・経済的関係を反映しているのであり,それは考古学上の成果とも一致するように思われる。