●美濃 みの
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現在の岐阜県南部に当たる地方名また旧国名。その表記は,はじめ三野で,702年(大宝2)ころに御野と改訂され,708年(和銅1)ころに美濃と定着された。4世紀半ば以前に,大和勢力の傘下に入り,その東国進出の基地的役割を担った。672年(弘文1)の壬申(じんしん)の乱では,勝利を握った大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)の挙兵根拠地となり,律令制下には律令三関(さんげん)の一つである美濃不破関を管理する要国として,紙・アシギヌ※注1※・陶器の生産が特色。『和名抄』では18郡131郷があり,平安中期以降には清和源氏の子孫が土着化して美濃源氏になった。その主流である土岐氏は室町時代に頭角を現したが,その家督争いに乗じて斎藤道三(さいとうどうさん)が美濃一国を支配した。しかし,1158年(弘治2)4月に子の斎藤義竜(よしたつ)と戦って敗死し,1567年(永禄10)に美濃を掌中に収めた織田信長は全国制覇の基礎を固めた。次いで江戸幕府は,美濃を直轄地・尾張藩領を初めとする大名領・多くの旗本領などに細分化して支配した。そして1871年(明治4)には美濃一国が岐阜県となり,5年後の1876年(明治9)には飛騨地方が岐阜県に併合された。美濃は現在も通称などとして生き続けている。
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