●峰入り みねいり
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山岳を道場とする山伏・修験の最も重要な修行。山岳に対する信仰は,“国峰”と言われる地方の霊山に古くから原始修験道が開かれた。吉野金峯山・熊野那智山(妙法山)などがそれであるが,平安中期ごろから吉野と熊野を統合した大峰修験道が成立すると,大峰山は修行の根本道場と観念されるようになり,地方修験は競ってここに入峰修行を行った。他方大峰山の峯入りの作法は全国の修験道の山の基準となり,各地に形を変えて残った。修験道の理論では,入峰修行は死を超えた苦修練行(苦行による修行と身心を鍛練する修行)によって即身成仏の義を会得すると説明されるが,その目的は山中に籠る神霊と交流または一体化して,超人間的験力を獲得することにあったと考えられる。【峰入りの時期と種類】山伏の入峰は時代によって,また霊山によって修行のあり方に相違が認められる。まず,一年のうち時を定めて山に入り修行するのが四季の入峰修行で,大峰の〈春の峰入り〉は2月初めに熊野から入峰して,5月半ばに吉野で出峰(百日の順峰)し,“秋の峰入り”は逆に吉野から入って75日で熊野へ出るがこれを逆峰と言う。前者は西行法師も二度このコースを越えたことが『西行物語絵巻』に見える。南北朝時代からは当山派・本山派ともに主に逆峰を行うようになった。夏と冬の峰入りは一カ所で山籠りの苦行をするもので,前者は別に“花供入峰”とも言い,旧4月15日から旧7月15日の“一夏九旬”の間山籠りして花を採り,これを堂舎や拝所に供える修行である。このほか越中(富山県)の立山,伯耆(鳥取県)の大山などでは,“如法経修行”(法華経の書写)が行われ,平安時代後期には白山山伏も夏峰如法経を行ったと推定される記録がある。後者の冬峰は最も厳しい修行で,雪に閉じ込められた山頂または中腹の中社で年末年頭をすごす。鎌倉時代の熊野本宮・新宮ではこの山伏を“晦山伏”と言い,大峰では“笙の岩屋”の冬籠りとして著名。『金峰山創草記』によると,その時期は9月9日から翌年3月3日と見え,鎌倉時代の遺品である1295年(永仁3)銘の真木碑伝は,長盛と慈盛坊が四度目の笙の岩屋で冬籠りを行ったしるしを残したものである。羽黒山伏の冬峰は松聖の百日精進と,大晦日の“松例祭”(松聖行事)で,松例祭に験競べがある。現在吉野の金峯山寺蔵王堂で7月7日に行われる蛙飛び行事,6月20日の鞍馬の竹伐りも夏峰の出峰に伴う延年の験競べ(蓮華会)の残存行事である。このような入峰修行が儀礼化したのが“十界修行”で,現在羽黒山に残っているが本来は羽黒山伏の秋峰修行であった。入峰修行は日本人の本来もっていた擬死再生信仰に基づいており,その時期や儀礼には仏教のみでは説明できない部分が少なくない。
〔参考文献〕和歌森太郎『修験道史研究』東洋文庫211,1972,平凡社
宮家準『修験道儀礼の研究』1971,春秋社
五来重『山の宗教−修験道』1970,淡交社
行智・同編註『木葉衣・踏雲録事他』東洋文庫273,平凡社,
五来重『修験道入門』1980,角川書店