●源義家 みなもとのよしいえ
アジア 日本 AD1039 平安時代
1039〜1106(長暦3〜嘉承1)平安後期の武将。清和源氏頼義の嫡男。母は平直方女。幼名不動丸ないし源太丸。八幡神の霊告により生まれたと伝えられ、7歳にして石清水八幡宮の社頭に元服、八幡太郎と称した。以後「八幡殿」の名で呼ばれ、「武略神通」「神武命世」「神人」の評があった。『梁塵秘抄』には「鷲のすむ山には、なべての鳥はすむものか。同じき源氏と申せども、八幡太郎はおそろしや」と、庶民の義家観を謳っている。前九年の役には父に従って黄海(きのみ)の苦戦に名声を馳せ、後三年の役には陸奥守としてこれを平定、源氏の武門の棟梁としての地位を確立した。そのため諸国の武士は争って義家に土地を寄進してその保護を仰ぎ、朝廷は官符を出してこれを禁ずるほどだった。その死に当たり『中右記』は「武威天下に満つ、誠に是れ大将軍に足る者なり」と記した。死後、子に不祥事があり源氏は一時衰えた。
〔参考文献〕安田元久『源義家』1966、吉川弘文館
