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●源為朝 みなもとのためとも

アジア 日本 AD1139 平安時代

 1139〜1170?(保延5〜嘉永2?)平安時代後期の武将。父為義の八男。母は摂津国江口の遊女。幼時より剛勇で知られ,とくに射技に長じていた。13歳のとき父の不興を買って京を追われ,豊後(ぶんご)に下って鎮西八郎と称した。次いで自ら九州総追捕使と称して菊地・原田などの豪族を破った。朝廷より大宰府鎮圧の勅が出されたがこれを聞き入れず,このため1154年(久寿1)父為義は解任された。これを聞いて帰京し,1156年(保元1)の保元の乱には父に従って崇徳上皇方に加わって勇戦するが,戦いに敗れて捕えられ伊豆大島に流された。だが伊豆諸島を従え,国司に反抗したため伊豆介工藤茂光らの追討を受けて自殺した。巷説に,大島から琉球に渡り琉球王朝の祖になったとも言う。為朝の武勇を叙した文学作品は多く,『保元物語』を初め江戸時代の滝沢馬琴の傑作『椿説弓張月』,浄瑠璃(じょうるり)の『鎮西八郎射往来』,黄表紙の『為朝島廻』がある。