●源実朝 みなもとのさねとも
アジア 日本 AD1192 鎌倉時代
1192〜1219(建久3〜承久1)鎌倉幕府3代将軍。右大臣・歌人。源頼朝の次男,母は北条政子。幼名千幡。2代将軍であった兄頼家が比企能員(ひきよしかず)と結んで北条氏討伐を企てたが失敗し,伊豆修禅寺に幽閉されたのち,1203年(建仁3),12歳で征夷大将軍となった。翌年京都より坊門前大納言信清の娘を正室に迎え,公家風な生活を送った。当時幕府の実権は母政子の兄北条義時が掌握し,政治の外に置かれた実朝は和歌や蹴鞠に熱中することとなった。藤原定家の歌論書『近代秀歌』も実朝の求めに応じて書かれたものである。また実朝は現実から逃避するかのごとく夢想に没頭し,渡宋を計画したこともある。晩年にはしきりに朝廷に官位の昇進を望み,1218年(建保6),右大臣に進んだ。しかし翌年,鶴岡八幡宮参拝のとき,頼家の子公暁に殺された。歌集に『金槐集』があり,〈大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけてさけて散るかも〉など万葉調の歌がみられる。