●南村梅軒 みなみむらばいけん
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なんそんばいけんともいう。土佐南学の開祖と伝える。経歴は伝説的要素が濃いが,大内氏に仕えて周防国吉敷郡白石に居り,桂庵玄樹について程朱学を学び,大内氏のお伽衆となり有梅軒と称したと伝えられる。1548年(天文17)ごろ土佐に移り,吾川郡弘岡城主の吉良宣経に仕えたというが,吉良氏は1540年に本山氏に討たれているので天文初年に来住したのであろう。梅軒は儒学に通じ禅を修め,修身斉家治国平天下の道理を説いた。宣経が道義の学や修養の方法について問い,真疑是非の分かちにくいとき,緩急いずれをとるべきかと質問すると,梅軒は中国の例をひき,修養体験にもとづいて宋儒性理の学の本質を説いた。つまり儒禅一致の立場にたって儒教道徳を講説した。1551年ごろ宣経が死去してから土佐を去ったという。梅軒の学統は吉良宣経・宣義のほか,宗安寺の如渕,吸江寺の忍性,雪蹊寺の天質(寺はみな高知市にある)に伝わり,天質に学んだ谷時中(たにじちゅう)が南学発展の基礎を築いた。〔参考文献〕寺石正路『南学史』1934,冨山房