●南太平洋委員会 みなみたいへいよういいんかい
AD1947
ニューカレドニアのヌメアに本部事務局をもち,SPC(フランス語では CPS)と略称される。そのメンバーを abc 順に列挙すると次の27カ国である(SPC では植民地をも国 country と呼ぶ)。アメリカ領サモア・北マリアナ・オーストラリア・パラオ・クック諸島・パプア=ニューギニア(PNG)・ミクロネシア連邦・ピトケアン島・フィジー・ソロモン諸島・フランス・トケラウ・フランス領ポリネシア・トンガ・グアム・ツバル・キリバス・イギリス・マーシャル諸島・アメリカ・ナウル・バヌアツ・ニューカレドニア・ワリスフツナ・ニュージーランド・西サモア・ニウエ。SPC は1947年2月に南太平洋に植民地をもつオーストラリア・フランス・オランダ・ニュージーランド・イギリス・アメリカの政府代表が,オーストラリアのキャンベラで署名した南太平洋委員会設置協定によって創設された。しかし,1951年に赤道以北のグアムと太平洋諸島信託統治領も SPC の対象地域に含まれることになり,1962年にはオランダ領ニューギニア(西パプア,現インドネシア領イリアン=ジャヤ)から撒収したオランダが SPC から脱退したため,イリアン=ジャヤは SPC の対象地域でなくなり,SPC 加盟国は5カ国となった。SPC の運営は加盟諸国派遣の弁務官による合議制の協議・諮問機関として行われた。1950年からその施政権下のすべての島嶼領域から派遣される代表が参加する南太平洋会議が設けられ,3年ごとに会合して各自の領域の諸問題を SPC に通告して,解決を求めることになった。しかし,1967年から南太平洋会議は毎年,SPC の会議の前に開かれることに改められた。南太平洋で非植民地化が進んだために,独立したり自治政府をもつ諸国が,SPC の加盟国となるにいたり,1965年西サモア,1969年ナウル,1971年フィジー,1975年 PNG,1978年ソロモン諸島とツバル,1980年クック諸島とニウエが SPC のメンバーとなった。原加盟5カ国にこの新加盟8島嶼国を加えた13カ国の代表で編成される加盟諸国政府代表委員会(CRPG)が,SPC の意志決定機関となった。しかし,その加盟国増加の過程で SPC の機能も変化した。1974年,第14回南太平洋会議で署名された了解覚書によって,それまでの SPC 弁務官会議と,27カ国代表の参加する南太平洋会議とを,統合し一元化して毎年開催することになった。また毎年4〜5月に開かれ,SPC の予算や事業計画を審議,南太平洋会議に提出する企画評価委員会(PEC)が設けられた。その提出された案の承認や SPC 役員の人事は,CRPG の権限であった。1976年10月に署名された新しい了解覚書によって,それまでの SPC に対する拠出金の額に比例して,意志決定の票決のさいに行使できる票数が違っていたのを改め,すべての南太平洋会議出席国代表が,平等に1票を行使する制度になった。1980年6月にキャンベラ協定が修正され,それまで加盟していなかった独立国・自治国にも加盟の門戸を開いた。しかし,1983年10月にサイパンで開かれた第23回南太平洋会議において,SPC の構成に歴史的な改革がなされた。すなわち CRPG と PEC を廃止して,27カ国すべての代表の全体会議であり,SPC の最高意志決定機関として,政府政庁代表委員会(CRGA)が設けられることになった。ただし,SPC の予算に対する拠出金の配合については,オーストラリア,アメリカ,ニュージーランド,フランス,イギリスの5カ国がその92.266%を分担し,残りを21カ国(ピトケアンをのぞく)が,その1人あたり GDP の額に応じて3段階(0.5%・0.375%・0.247%)に分かれて分担することになった。CRGA の発足は1984年5月にヌメアで開かれた第1回会議で,国際機関や日本,チリ,ペルーからの21オブザーバーの出席のもとで行われた。SPC の事業活動は政治・外交・国務に関する議題を排除しているが,資源や環境問題の調査をも含めて,経済・社会・文化のきわめて広い分野にわたり地域国際機関としての役割を果たすことにある。SPC の1983年度の予算は,3億7,832万5,300 CFP フランであった。SPC の職員はヌメアの本部事務局に94人,フィジーのスヴァにある3支部に25人,シドニーの出版局に5人,その他の諸国に合計10人となっている。