●南樺太 みなみからふと
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樺太島(現サハリン)の南半部で,北緯50度以南の地域をさす。17世紀後半松前藩はこの地のアイヌと交易を始め,のちに樺太場所を設置。西海岸は良好な漁場として利用された。18世紀に入り進出してきたロシア人とのあいだに利害対立が繰り返され,幕末から明治初年にかけて,その領有をめぐり日露間の係争問題となった。1875年(明治8),樺太・千島交換条約により,日本は樺太の利権を放棄し,代わりにウルップ島以北18島の千島列島を領有した。しかし1905年,ポーツマス条約で日本は南樺太の領有権を獲得した。同年コルサコフに樺太民政署を置き,1907年4月,樺太庁と改称した。一般地方行政・拓殖行政を担当する同庁の機構は,長官官房のほか警察・水産・交通などの第1部と,拓殖・土木・林務・鉱務などの第2部で発足したが,拓殖の進展に伴い行政機構・制度ともにいくども拡張整備された。人口は領有当初1万2,000人台であったが,1941年(昭和16)には40万人台に達し,主として漁業・林業・石炭鉱業に従事していた。1945年敗戦後,1949年まで5次にわたって同地からの引き揚げが行われ,軍人を含めて40万人以上が帰国した。しかし,樺太に強制連行された朝鮮人は除かれ,4万3,000人(1978年現在)が同地にとり残されている。