●南淵請安 みなぶちのしょうあん
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生没年不詳。7世紀の学者・僧侶。608年(推古天皇16)9月,遣隋使小野妹子に従って入隋した留学生・学問僧8人のなかの一人として『日本書紀』にみえるのが史料上初見。〈南淵“漢人”(あやひと)請安〉とあるところから,渡来系の人物かともいわれる。640年(舒明天皇12)に高向玄理とともに新羅経由で帰国,隣国隋,それに代わる唐に関する新知識・学芸を伝えた。外典を教授する彼のもとには,政治を志す若者が集い,そのなかには中大兄皇子や中臣鎌足もいた。のちの政界をリードしていくこの2人は請安のもとで律令にもとづく唐の中央集権国家体制を学び,また,その途次に専制を振う蘇我氏打倒の計画を練ったと『日本書紀』は伝えている。彼が大化改新に直接与えた大きな影響は見過ごせないが,請安自身の名前は新政府の人事のなかにみることができない。墓は現在の奈良県高市郡明日香村稲淵の地にあり,「南淵先生之墓」と刻まれた石碑が建っている。