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●ミトリダテス戦争 ミトリダテスせんそう

ヨーロッパ イタリア共和国 AD 

 ミトリダテス6世(前132ごろ〜前63)は,黒海沿岸,小アジア半島の北側の付け根,ポントスの王。「大王」と称された。この戦争はローマ帝国成立史において重要な意義をもっている。ミトリダテスは前2世紀末までに,黒海沿岸のギリシア諸都市を保護下に置き,豊かな軍事力と経済力を背景に,小アジアに侵入して,属州のローマ人を大量虐殺し(8万人といわれる),ローマと衝突した。最初はローマは国内問題の解決に追われて,ミトリダテスに対して積極的な行動をおこしえなかったが,前88年のスラの東征(第1次ミトリダテス戦争)によって,彼はスラの条件を受け入れてすべての征服地を放棄した。しかし,その後,前81年にスラの力を駆逐し(第2次ミトリダテス戦争),黒海沿岸の支配権強化につとめた。前74年,ローマはルクルスの指揮下に遠征軍を派遣し,彼は大成功を得たが,軍隊の統制に失敗するとともに本国では政敵に指揮権を奪われて,ポンペイウスに後を譲ることとなった。ミトリダテスはスラ以来の戦争に疲弊していたので,ポンペイウスに容易に破られ,現在のクリミア半島で自殺した。ポンペイウスは東方の平定というローマ帝国成立史の上での大事業に成功し,これらの成功をきっかけに,カエサルとの第1回三頭政治(前60)を成立させた。