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●ミドハト憲法 ミドハトけんぽう

アジア アジア AD1876 

 1876年に発布されたオスマン=トルコ帝国の最初の憲法。“ミドハト憲法”と通称されるのは,この憲法発布の最大の功績者である革新政治家のミドハト=パシャ(1822〜83)の名に由来する。トルコ帝国革新のためには皇帝専制をやめ,立憲国家になるしか方法がないことは,19世紀の初頭以来,知識人たちの一致した主張であったが,つねに皇帝とイスラーム聖職者たちにより弾圧された。しかし,1872年に大宰相(サドラザム)に任命されたミドハト=パシャは制憲派の頭目となり,皇帝アブデュル=アズィズに解任されると,自分の憲法草案を新聞に発表した。これが国民に支持され制憲運動が一段と高まったのに乗じ,ミドハトは首都の軍団と組んでクーデタをおこし,皇帝を退位させた。だが,いったんは憲法発布を認めた新皇帝ムラト5世が変節したため,制憲派は再度のクーデタにより,前皇帝の甥のアブデュル=ハミトを即位させ,ついに憲法発布を成功させた。しかし,新皇帝アブデュル=ハミト2世は憲法発布の直後に,ミドハト=パシャを“皇帝に危険な人物”として国外追放し,翌年に始まった対ロシア戦争を口実に憲政を中断させ,以後30数年もの独裁政治を行った。この憲法が復活したのは,青年トルコ党のクーデタにより同皇帝が退任させられた1909年である。このクーデタは厳密には第2次クーデタであり,前年のクーデタでは同皇帝は青年トルコ党と妥協し,憲法復活を条件に皇帝の身分を保証させたが,反革命に失敗して翌年退位させられた。〔参考文献〕三橋冨治男『オスマン―トルコ史論』1966,吉川弘文館

大島直政『トルコという国』1972,番町書房