●三井越後屋 みついえちごや
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江戸時代最大規模の商舗。発展的企業意識ならびに企業努力は近世資本主義の一形態を示す。代々八郎右衛門を称し,元は近江の武士。江戸初期三井高俊の時,伊勢松阪にて酒・質商にたずさわる。高俊の父が越後守を称したことが屋号の由来。三井高利(1622〜94)のとき,延宝から天和にかけ,江戸・京都,次いで大坂に進出,両替・呉服を商う。西陣織屋に対し,前貸金による問屋支配方式で仕入れ,大坂・江戸で販売して成功。1683年(天和3)には江戸駿河町店を設けた。朝廷,幕府のご用達をつとめたが,その特質は現銀掛値なしの店前売を重視。従来の掛勘定による武家屋敷相手のご用聞商法に代わって,現金直接売買で不特定大衆,とくに町人相手の商いに力を注いだことは画期的である。1日1,000両の売上と評判され,“駿河丁,畳の上の人通り”と川柳によまれる繁盛ぶりであった。地方の製糸・機業の興起につれ,八王子・桐生,その他,中国地方にまで支店または買宿を設け集荷網をひろげ,キャリアを積んだ手代にのれん分けと称し,店号・店章を与える制度を確立した。江戸店開設とその意欲的商法は,当時の呉服商仲間の排斥を受けたが,商業意識の変革に与えた影響は大きい。幕府の金銀御為替用達としてもソツなく,危いところがなかった。1872年(明治5),呉服部門が分離して三越と改称,1928年,株式会社三越となって今日にいたっている。