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●道 みち

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 路とも書く。人や車が往来するところで最も基本的な交通施設である。人類が最初に利用した道は,獣道と呼ばれる野生動物が踏み分けたもので,そのなかから利用度の高いものが交通路として固定してきたと思われる。必要に応じて人が自らつけるようになるが,これも踏み分け道であった。中世までは,かかる状況が続き,古代官道などの例外を除けば,つくり路は稀であった。わが国の道は,地形上,大半が山間地帯を通過しているが,一般に古い道ほど高い所を通っている。これは,目標を見失わないためや渡河の際,川幅の狭い上流で渡るようにしたためである。道は街道のほかに,「生活の道」ともいうべき町や村のなかを通ずる道があり,日常卑近なものである。たとえば祭の際,神輿のたどる道筋がそこの開発経過を示す,という類のことである。

【儒学・老荘の道】具体的には人の歩く通り道であったものが,中国を中心とする東洋では古くから,人の歩むべき道筋であり,天地自然の最も根元的なものであるという抽象的な意味をもつようになったもの。中国の春秋戦国時代に輩出したいわゆる諸子百家といわれている思想家たちによって,道こそは人が踏み行うべき原理・原則であるとする考え方と,道こそは天地宇宙を一貫している本質で,この本質に合一する生活こそが理想であるとする考え方が提唱された。前者が孔子を初めとする儒家の考え方で,後者が老子・荘子に始まる老荘の考え方である。儒教の考え方は,孔子の言行録である『論語』を初めとして『大学』,『中庸』,『孟子』などに示されており,老荘の考え方は『老子』『荘子』にみることができる。

【『論語』にみえる道】〈朝に道を聞かば,夕に死すとも可なり〉(里仁篇)ということばはあまりにも有名である。人が当然行わなければならぬ道を聞くことができれば,人として完成したことになるので,いつ死んでもよいということで,人の行為の拠り従うべき基準・原則を意味している。道は忠恕であるという。忠恕については宋代の有名な儒家である朱子の説明によると,「己を尽くす,之を忠と謂う」とあって,自分のまことの心を尽くすことが忠であり,「己を推す,之を恕と謂う」とあって,自分の心のように,他人の心を推し量って,自分が欲しないことを,他人に対して行わない心がけが恕であるという。一言でいえば,誠実と思いやりということになる。人はこのことをつとめなければならない。そこで〈君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なるものは,其れ仁の本たるか。〉(学而篇)とみえている。日常生活においては,親を敬愛する孝の気持と,兄長に対して素直に従う悌の気持を心掛けることが仁の本質であり,この本質がしっかりとつとまれば,道は自ずから明らかになる。ここで仁という字をよくみると,人篇と二という字からできていることがわかる。これは2人という意味を表している。人間の関係は,父と子・兄と弟のように2人の関係が基礎になっているので,それぞれの2人の関係に,自ずから生ずる親愛の気持を大切にすることが仁であるという。しかし,道を実現するための仁を実践することもなかなか困難なことである。〈我いまだ仁を好む者,不仁を悪む者を見ず〉(里仁篇)と,このことを孔子も率直に認めている。理想とする道は,なかなか行われ難いものであることを孔子もわかっていた。ときには〈子曰く,道おこなわれず,いかだに乗りて海に浮ばん〉(公治長篇)という嘆きのことばも残っている。しかしながら,道を実現するためには,人々が努力しなければならない。〈子曰く,人能く道を弘む。道,人を弘むるにあらざるなり〉(衛霊公篇)道そのものが人々に働きかけてくるのではなく,あくまでも人々の力によらなければならないという。孔子は道を実現するために努力をした。しかし,〈子曰く,道のまさに行なわれんとするや命なり。道のまさに廃れんとするや命なり〉(憲問篇)とあって,道が実現されるのも天命であり,道が実現されないのも天命であって,人の努力だけではいかんともしがたいところがあることも認めていたようである。しかし,君子は道の実現のために努力すべきことを強調し,孔子自らも努力した。

【『老子』にみえる道】〈道の道とすべきは常道にあらず。名の名とすべきは常名にあらず。名無きは,天地の始にして,名有るは万物の母なり〉(第一篇)これが『老子』の最初の書出しになっている。世のなかで守るべき道といわれているものは本当の道ではない。世のなかであるものに名をつけて,他と区別している名というものも絶対不変のものではない。天地の始まる前には名はなかった。天地が始まってから名がつけられて万物の母となったと説明している。天地万物の根底に道があると考えている。それゆえに,〈道,一を生じ,一,二を生じ,二,三を生じ,三,万物を生ず。万物陰を負い陽を抱き,冲気もって和を為す〉(下第五篇)とあって,道は天地万物を生み出す自然の根元であり,この根元から根本の気である一が生じ,この一から陰陽の2気が生じ,この陰と陽の2気が相互に作用し合って第3番目の冲気が湧き出てくる。そしてこの冲気によって万物が生ずると説明している。天地万物は道によって成り立っているので,〈道は常に無為なれども,しかも為さざる無し〉(第三七篇)とみえており,人が活動するような作用はしないが,すべてことを成し遂げていると説明している。〈故に道に従事する者は,道ある者には道に同じくし,徳ある者には徳に同じくし,失へる者には失へるに同じくす〉(第二三篇)とあって,道に従って生きてゆくには己をむなしくして,相手に絶対に逆らわないことが大切であるという。〈道は万物の奥にありて,善人の宝,不善人の保んぜらるる所なり〉(下第二五篇)とあって,道はすべての奥に潜んでおり,善人はこれを宝としており,不善人も,これによって生かされているのだという。それ故に〈無為を為し,無事を事とし,無味を味はう〉(下第二六篇)とみえているように,道を体得した人は,人目につくようなことはせず,ただひたすら黙々と生きてゆくものであると説明している。

【『荘子』にみえる道】〈朝菌は晦朔を知らず,ケイコ※注1※は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に冥霊なる者あり。五百歳を以て春と為し,五百歳を秋と為す。上古,大椿なる者あり。八千歳を以て春と為し,八千歳を秋となす〉(逍遥遊第一)とあって,一日の寿命しかない朝菌は月の始めも終わりも知ることはできないし,夏だけで死んでしまう蝉は,春も秋も知ることはできない。これは短命が原因である。楚の南に冥霊という木があったが,これは五百年が春で,五百年が秋であるという長寿である。また大昔,大椿という木は,八千年が春で,八千年が秋であるという,とてつもない長寿である。つまり,物事には絶対の基準というものはないということを主張している。〈モウショウ※注2※・麗姫は人の美とする所なり。魚は之を見て深く入り,鳥は之を見て高く飛び,麋鹿は之を見て決かに驟る。四者いずれか天下の正色を知る〉(斉物論第二)とあって,昔,越王が寵愛したモウショウ※注2※とか,晋の献公が寵愛した麗姫という女性は絶世の美人であると天下に名をとどろかせた女性であって,世の男性のあこがれの的であったが,このような美人であっても,魚はこれを見て危険を感じて深い所に隠れるし,鳥は空高く飛んでゆくし,鹿は走り去ってしまうに違いない。人が美とするところ,他のものはこれを美とは認めていないのであることを述べて,世の中には絶対の基準がないことを強調している。それゆえに荘子の主張するところは,絶対の道というものを考えることが,次から次におこってくる煩わしいことの始まりであるから,無為自然の道に従うことがわれわれにとって一番よい方法であることを暗示しており,多くの喩話によって,このことを主張している。孔子・孟子の教えは,のちに儒教として,政治,道徳を指導する原理・原則となり,老子・荘子の教えは個人が人生を処していくための指針となった。したがって儒教の説く道は,人が守らなければならない道徳の基準を示し,この道を実現するために政治が行われなければならないと主張する。それゆえ,徳のない天子は交代する必要がある。これが中国の革命思想となっている。老荘の教えでは,道は天地自然とともに生きてゆくことであり,人為を離れて自然と合一することを理想としている。後世,華道や茶道と称する芸術の分野で優れているという評価は,天地自然の道に合一しているかどうかが問題とされているが,それを考えるのもまた自然の道からはずれることのできない人間であることを自覚すべきであると,老荘思想では教えている。

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