●水城 みずき
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福岡県太宰府市所在の大宰府関連遺跡団指定特別史跡。『日本書紀』664年(天智天皇3)に〈是歳対馬嶋・壱岐嶋・筑柴国等に防と烽とを置く,又筑紫に大堤を築きて水を貯へしむ,名づけて水城と曰ふ〉とあり,また水城にかかわる書紀の記録のすべてでもある。白村江の敗戦の翌年である。水城と称されるものは,このほか,平野部から大宰府郭内に通ずるところ数カ所に築堤している。水城大堤に対し,小水城と総称している。水城の現況は平野部の最も狭いところにただ土塁がのびて両山すそにとりつくかたちで,書紀の「水を貯えしむ」という記述をどう解釈するかが水城の謎であった。従来の説の大勢は,三笠川をせきとめ,大堤の内側に水を貯え,敵来襲の場合水を切って落とすというものであった。これは水を貯えしむという説明ができても,果たして水がたまるかという点では難点の多い説であった。1975年(昭和50),福岡県教育委員会が発掘調査を行い,水城の博多側に幅60m,に深さ4mの外堀の存在を発見した。水城とは,外堀への貯水池であった。