●水子供養 みずこくよう
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水子とは仏教語で“すいじ”と読む。人間の生長を10段階に分けた『大般涅槃経』巻34・迦葉菩薩品第24の“胎内五位・胎外五位”のうち,胎内五位の第2・3時の泡疱時を表し,月満たずに流産した未熟子や死産子という。『古事記』の水蛭子(ひるこ)も堕胎児とされる。1948年(昭和23),「優生保護法」が制定され,優生学的・経済的に必要と認められた場合に限って人工妊娠中絶が可能になり,昭和40年代から50年代にかけて水子霊の供養のために水子地蔵尊の建立がみられるようになった。堕胎は平安期の貴族間にも行われ,明治以後まで公然の秘密としてなされた。農村にあって“間引き”は主として貧困による村落共同体維持の必要悪であった。間引きを“もどす”“かえす”というように子供を神の授かりものとして葬式をせず,再生を願う信仰に支えられていた。今日の水子供養は自己中心的であるが,伝承的な崇り信仰がみられる点で一貫している。〔参考文献〕高橋梵仙『間引堕胎の研究』1929,中央社会事業協会
大藤ゆき『児やらい』1966,岩崎美術社
佐々木保行編著『日本の子殺しの研究』1980,高文堂出版社
藤井正雄編『墓地墓石大事典』1981,雄山閣出版
千葉徳爾・大津忠男『間引きと水子』1983,農山漁村文化協会