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●ミケーネ文明 ミケーネぶんめい

アジア アジア BC2000 

クレタ文明につづくエーゲ文明後期の文明。トロイアの発掘をしたシュリーマンが1876年、ミケーネ(ミュケナイ)を発掘し、貴金属製の装身具などを発見したことからこの名がつけられた。前2000年ごろから、バルカン半島南部に移動してきたインド=ヨーロッパ語族の一派であるギリシア人が先住民族を従えながら、先行していたクレタ文明を吸収し、海上活動も活発になってきて、前1600年ごろからミケーネ文明を創りだした。前1200〜前1100年ごろのドーリア人の侵入によって滅ぼされた。

【範囲】シュリーマンオルコメノスティリンスなどを発掘して、ミケーネで発見した装飾品、武器、陶器、細工品などと同様の出土品を得た。ミケーネ人は前1500年ごろには、クレタ人を圧倒し、海上交易権を握って富強になっていった。ミケーネ市はその代表で「黄金のミケーネ」と呼ばれたが、ピロス(ピュロス)などもこの文明圏に含まれ、オルコメノスのような中部ギリシアやキプロス島などにも及んでいた。

【特徴】ミケーネ文明は当然のこととして、クレタ文明の影響を強く受けており、ことに工芸品に関していえば、つくる技術や意匠ではクレタの模倣から始まった。しかし、クレタ文明に比べて、はるかに尚武的であり、またギリシア的と呼びうるような特性を示している。さらに、のちのギリシア文明に比較すれば、簡明で素朴である。

【その内容】戦士が上層部を形成していたミケーネ社会では、剣や甲冑などの武器類の製作に優れ、クレタ文明との比較でいえば、城塞が堅固となり、クレタにはなかった城壁を例外なくもち、巨石でつくられている。壁画はクレタ風でありながら、戦士を題材にした戦争や演武、狩猟を描くことが多い。墓はアトレウス墓に代表されるように、巨大な穹窿墓(トロス)で、重厚さをもっている。貴金属細工には優れ、ミケーネから出た黄金のマスクをはじめ、容器や装身具に特色を示している。陶器はクレタを模倣しているが、文様は形式化している。ギリシア的な特性を示すものとしては、城塞のなかにあるメガロン様式と呼ばれる長方形の居城の建築様式があり、中央に炉をもち、壁が厚く、クレタの開放的な形に対して北方的な要素を備えている。またクノッソスの宮殿がラピリントス(迷宮)と呼ばれているのと対象的に、ギリシア的なシンメトリー(左右相対)を示しはじめている。

 以上を総合していえば、クレタ文明をまねて、その影響のもとに出発しながらも、先住クレタ人とは異なったギリシア人的な性格を強い意志の力をもって示しはじめ、単なる模倣に終わっていないところが特色であるといえる。なお、ミケーネ文明は後期青銅器文明にあたっている。

【問題点】エヴァンズがクレタ島で発見し、その後、ミケーネやピロスで発見されながら未解読のままであった、粘土板に書かれた線文字 B が、1953年にベントリスとチャドウィックの両イギリス人によって、暗号解読の手法を使用して解読された。その結果、線文字 B はギリシア文字の古形であることが判明した。この文字がクレタ島のクノッソス宮殿が破壊されるより以前の前15世紀末の地層から発見されていることは、クレタ文明の末期の担い手は、すでにギリシア人であるミケーネ人であったとの疑問がでてくる。また、クノッソス宮殿の破壊がミケーネ人によるとの仮説も否定されてくる。さらに、線文字 B で書かれた文書に、従来は前8世紀ごろに、トラキアを通してギリシア人のあいだにもちこまれたとされていたディオニュソス神の名がみえていることは、ギリシアの神や信仰についての再考を求めることになる。

 ホメロスが「イリアス」や「オデュセイア」で描いている時代はミケーネ文明の時代であるが、ミケーネ時代の王国や文明は、前1200年ごろから南下してきたドリア人によって、簡単に滅ぼされて、いわゆる闇黒時代を迎えるのであるが、その原因にも疑問が残っている。


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