●ミクロネシア
AD
西太平洋のうち赤道以北の部分。南のメラネシア,東のポリネシアと比較して海域の範囲も小さいが,そこに散在する島嶼の陸地総面積は3,434平方kmにすぎず,これはニュージーランドを除くポリネシアの陸地面積の8分の1,ニューギニアを除くメラネシアのわずか50分の1にしかあたらない。ミクロネシアとは「小さい島々」という意味で,1831年,フランス地理学会が採用して公式名称となったものである。小笠原諸島の延長にあたるマリアナ諸島と,赤道の北側に散在するパラオ諸島,カロリン諸島,マーシャル諸島,赤道以南に連なるギルバート諸島,ナウル島からなり,「小さい島々」という名のとおり,ここにはあまり大きな島はないが,マリアナ諸島は環太平洋造山帯の火山脈が走っていて,海面から屹立する火山島が遠くから航海者の目標になり易いため,ほかのカロリン,マーシャル両諸島のなかの幾つかの島々とともに,17世紀初頭からメキシコとフィリピンのあいだを往復するスペイン人によっていち早く見出された。列状に並んだこの諸島の東には世界でも最も深い海溝の一つマリアナ海溝があるが,それ以東には低平なサンゴ礁の島々も多く,この方はすぐそばを通る船からも望見されず,かなりのちまでいわば未発見で残ったものもあるし,マーシャル諸島の環礁クアジアリン島のように陸地に囲まれた礁湖の面積が1,700平方kmで琵琶湖に匹敵するものもある。島々の平均気温はおよそ26.5度で,季節的変化はほとんどみられない。高度や緯度の違いが降水量の地域的差異の要因となっており,赤道付近に住む人々は,ときにはきわめて長期にわたるひでりにあう。また大きな災害をもたらす台風は周期的に西方の島々を襲う。このミクロネシア地方への人間の移動は,考古学や言語学の研究によれば,二つの方向からきたものとされる。すなわち,東部ミクロネシアのカロリン,マーシャル,ギルバートの各島嶼群へは,その東南方のメラネシアのニューヘブリデス島付近から前1300年ごろに来たものと考えられるが,西部ミクロネシアのパラオ,マリアナの両島嶼群へは,西のフィリピンから前1000年,植民したものとされ,前者がそのままポリネシア人と同祖であるのに対して,後者はむしろインドネシア人に近い。これらのほぼ全域はスペイン時代ののちにドイツの領有時代となり,プランテーション農園が開かれ,ココヤシの栽培が行われてコプラが生産されるようになった。第一次世界大戦中に日本が赤道以北のドイツ領ミクロネシアを占領したことから,これらの島々は戦後の1914年には国際連盟からゆだねられて日本の委任統治領となった。日本ではこれに南洋群島という名をつけて統治したが,パラオ諸島のコロール島に南洋庁を置き,パラオ,ヤップ,トラック,ポナペ,ヤルート,サイパンの六つの支庁を置いた。グアムだけはアメリカ領としてはずされていたので,地図上の左上方,つまり北西隅の欠けた矩形の日本領土が太平洋上に描かれていた。30年間の日本時代には日本から移住した人も多く,カツオ節製造の技術を伝え,原住民に日本語教育を徹底した。第二次世界大戦後,この地域は国際連合によってアメリカの信託統治領となり,いわば親・子・孫の3世代がドイツ語・日本語・英語を話すというような時代変遷をたどった。1976年,グアムを除くマリアナ諸島が北マリアナ諸島コモンウェルスとして分離,ついで1978年には住民投票によってヤップ,ポナペ,トラック,コスラエの4地区がミクロネシア連邦を構成,ポナペ島のコロニアに首府を置くことになったが,さらにパラオがベラウ共和国,マーシャル諸島がマーシャル共和国となり,それぞれ信託統治のもとに自治を行っており,1986年ごろと予想される信託統治終了後も,自由連合という形でアメリカとの関係を保つことになっている。