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●未開心性 みかいしんせい

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 近代人の相関的な考え方に対して,原始人の呪的な考え方を比較させ,後者における思惟過程のなかに感情的要素が強度に介入し,いわゆるカタトニー的様相を呈していることを一般に原始心性,あるいは未開心性と呼ぶ。

 この問題を取り扱ったフィアカントは,『自然民族と文化民族』(1899)で,自然民族の神話的思考様式には,八つの特性がみられると指摘した。[1]生命のない事物をも擬人化する傾向がある,[2]精神的なものが物質的に考えられている,[3]過程が事物のなかに変形され,擬人化される,[4]原因は,問題とされている物のなかにではなく,常に外に求められる,[5]事物の生成や成長は,それが内部からおきてくるものとは考えず,常に外部からの発生があるのみで,そこには連鎖はなく,突発と不連続しか認めない,[6]全体は部分の性質をもち,反対に部分は全体の特性をもつと考える,[7]類似する事物は,必ず類似した特性をもっている,[8]一つの事物,あるいはもともと関連した事物は,分離されたあとでも,なお関連ある全体を形づくっていると考えられる。このようにフィアカントは神話的思考様式を分析したが,彼は,未開人たちはこれらの点を意識しているわけではなく,われわれ近代人の観察の要約であり,それ故に客観的意味をもつであろうと説いた。オッセンブルッヘンは,このフィアカントの指摘した八つの特性に注目し,それらは結局次の三つに要約できると説いた。[1]彼らは抽象的概念を形成する能力に欠けており,もっぱら感覚的なものに固執する結果,事物が物質化されて表象されてくる,[2]彼らは必然性の概念をもちあわせていない,[3]彼らの思考用式は,外的な感覚的存在に拘束されており,連合的機制の枠内にとどまっている。オッセンブルッヘンは,『未開的思考』(1916)において,未開心性における表象の感覚的表現と,連合心理的機制を最重要なものと指摘した。

 オッセンブルッヘンに影響を与えたプロイスは,未開的思考について,その複合的,呪術的特性を重視した。つまり,われわれの思考が分析的であるのに比べて,彼らのそれは複合的であり,また思考にはつねに情緒的傾向が含まれている,と指摘した。未開心性やその思考について,最も影響を与えたのは,レヴィ=ブリュールである。彼は,未開心性の特色を「前論理的」と規定し,「分有の法則」に従うものであり,「神秘的」であると指摘した。つまり,彼らの思考は,「非論理的」や「無論理的」ではなく,われわれとは「異なる論理」であり,われわれが重視している矛盾の原理に対して関心を持たず,知覚されない働きを考えているところに「神秘的」性質があると主張した。

 多くの未開心性論は,そのほとんどが「表象」や「思考」を中心に考察してきたが,ダンツェルやヴァン=デル=レーウらは,総合的見地から未開心性論を展開した。つまりダンツェルは思考やその他の精神活動の側面のみからではなく,もっとすべての領域,全精神構造の差異という方面からこれを考察しなければならないと説き,一方レーウも,世界に対するあらゆる態度から接近しなければならないと指摘している。

 しかし,ブリュールがその晩年に『覚書』として記した主張によれば,〈分有は未開心性だけに属しているのでなく,われわれのなかにも場所をもっているのであり,あるいは未開心性は実は人間の心性一般にある様相や状態である〉ということである。今日多くの人類学者は,近代人と未開人の心性のあいだに,本質的な差異は認めていない。つまり多かれ少なかれ,客観性・因果性によって思惟しない人間はいないのだ。