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●万葉集 まんようしゅう

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 現存最古の歌集,20巻,長歌短歌合わせて4,500首を含み,数ある古典の中の最たるもの。成立年については不明。栄華物語に,天平勝宝5年(753)に橘諸兄(もろえ)らの撰に成る旨の記事があるが疑わしい。天平宝字3年(759)の大伴家持(やかもち)作が最終歌として採られているので,その後に成立したことは事実であるといえよう。古歌集・類聚歌林その他資料となった歌集をもとに集大成されたこと,8世紀の半ばを過ぎることそれほど遠くない間に完成を見たといってよい。

【編者】諸兄勅撰説,家持私撰説,両者共撰説があるが,確実なところは不明。巻1・2は勅撰説が有力であるが,それを初めに置いて,以下まちまちな巻々を集成したのを,最後に現れた家持の手で整理されたらしい。

【名義】命名の時期は不明,呼称にもまんよう・まんにょうの二通りがあったが今は前者が通用されている。“万の言葉を集めた集”“万世の集”の二説のどちらも根拠があって捨てがたいが,前者の方が有力である。

【構成】長歌約200首,短歌約4,200首,旋頭歌約60首,仏足石体歌1首,連歌1首,合わせて約4,500首が内容を成し,後世の勅撰集などより遥かに多い。第1・2巻は初期の歌を雑歌・相聞・挽歌の三大部立ごとに時代順に配列し,次の3・4両巻は洩れたのへ新しいのを足したもの,そして5・6両巻でその後を受け,万葉4期のうち第1・2期のものがかなり整然と集録された形になっている。巻7から14までのうち巻8だけ作者名が記してあるが他は全部作者未祥。巻13は長歌を含み,わりに古代調のもの,巻14は東歌の集として特異の性格。そして,巻15は二つの歌物語的歌群で,巻16は伝説中心の歌群で成り立つ。巻17以後の4巻は大伴家持歌日記といってもいい内容で,巻20の防人歌その他家持の作でないものが混在するけれども,家持中心で,編集者に家持が擬せられている理由ともなっている。

【作者】天皇を初め皇室・貴族・官吏・僧侶・農民・漁夫・遊女など,階層の別なく,老若男女の作を集めている。幅が広いという点でも国民文学の名に値しよう。史実と直結したものや生活そのものを歌ったものがあるし,伝承歌・民謡・創作歌のすべてにわたっているし,自然詠・人事詠いずれも和歌文学の典籍として不滅の価値をもつといえよう。旅の歌や挽歌・相聞歌に名作が多くて,当時の人々の心情と志向とが素直に表現されていて歌作りの範となった。舒明天皇御製(巻頭第2の長歌)から万葉時代が始まり,家持巻末の作が生まれるまでの約130年間に,額田王・柿本人麿・高市黒人・山部赤人山上憶良大伴旅人・大伴坂上郎女等々の個性的な歌びとが現れて長歌や短歌に秀歌を残している。

【表現】いわゆる万葉仮名を使っているため漢字だけの表記になっている。まず訓読のことが問題で,多くの人々の苦心が積み上げられてきて,今やほとんどのものについて定訓または定訓に近いものが得られている。記紀歌謡と区別できない叙事詩があるかと思うと,一面には,後世の人の作品と見てもおかしくないような叙情歌も含まれている。表現技法も時の流れとともに発達し,寄物陳思の名目でまとめられたなかの序歌の方式などは,人麿などもこれを駆使している。枕詞・序詞・対句・譬喩などの修辞法は,万葉集独自の用法・語法と相俟って長歌,特に短歌における芸術性を高める上に大きく役立っている。

【万葉調】後世の研究者の間で,万葉調,古今調,新古今調といういい方で三つの歌風を位置づけてから,歌人の間でよく問題とされるようになった。格調とか声調とかいわれる調子のことでもあるが,斎藤茂吉がいったように単に音調だけのことではなく,内容上のこととも無縁ではない。したがって,万葉風,万葉精神などの語とも相通じているし,感動の直接表現,写実的,素朴,自然的,その他の評語で,ますらをぶり(真淵が古今調,新古今調のたをやめぶりの対立語としていった語)で,古代調の雄健を尊重して技巧に走らない歌風。五七調が主で,七五調になっても,知的な観念や婉曲な情趣を旨とするものではない。