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●満鉄調査部 まんてつちょうさぶ

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 南満州鉄道株式会社,通称「満鉄」の初代総裁後藤新平の植民地経営哲学,“文装的武備”の一環として1907年4月,満鉄本社内(大連)に設置されたもの。その目的とするところは,植民地を経営するにあたって必要な,その地の伝統的な慣習等を調査し,その基礎的資料を集積しておくことにあった。翌年1908年には東京支社に,東アジア各国の経済事情ならびに世界情勢の調査を任務とする東亜経済調査局が設立された。この機関は,1915年より『経済資料』を刊行し(1931年までに17巻175号を刊行),また『満州旧慣調査報告』(9巻,12冊 1915)も,その成果の一つである。また,この機関の附属として,東京帝国大学教授白鳥庫吉の要請で,満州・朝鮮歴史地理調査室が設けられた。研究員は,主任である白鳥のもとで,箭内亙・松井等・稲葉岩吉・瀬野馬熊が「満州歴史地埋」の研究を,池内宏・津田左右吉が「朝鮮歴史地理」の研究を担当した。この調査室は1915年(大正4)1月,営利を目的とする満鉄の趣旨に合わないという理由で廃止された。しかし,その後も研究は,満鉄からの寄金で東京帝国大学文学部内で続けられた。その成果が「満鮮歴史地理研究報告」である。本社に置かれた調査部の定期的刊行物としては,「資料彙存」(不定期,大正7年まで12冊)が創刊され,1918年「調査資料」(大正8年まで11輯),1919年「満鉄調査時報」(大正10年より月刊),1931年より「満鉄調査月報」が刊行され,1943年の終刊まで継続された。1923年には,第一次世界大戦後の国際情勢に対応して,機構が一層拡大した。全スタッフは2,125名,年予算は800万円を超え,調査の主たる対象をソ連邦の内情調査にも移していった。『労農露国経済叢書』全8巻・『労農露国研究叢書』全6巻は,ソ連邦事情の初めての本格的調査である。1930年代以後の「支那抗戦力調査」(1939)・「日満支インフレ調査」(1940)・「日満支戦時経済論」(1941)の調査報告は満鉄調査部の三大調査ともいわれ,“事実をして語らしめる”という調査部の本領を発揮したものと高く評価されている。満鉄調査部40年の歴史において,報告件数6,200件,書籍・雑誌・外国紙のスクラップは合計5万点にのぼるという。第二次世界大戦の終了後,大連図書館と満鉄調査部資料室にあった膨大な蔵書と調査資料はソ連軍によってすべて押収され持ち去られた。

〔参考文献〕草柳大蔵『実録満鉄調査部』上・下,1979,朝日新聞社

山田豪一『満鉄調査部』1977,日経新書