●マンサブダール
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ムガル帝国の,将軍・高官。ムガル帝国第3代皇帝アクバルはムガル支配を強固にするため,1570年半ばに,数々の改革に着手した。その一つが,軍事制度と並ぶ,ムガル官僚機構の整理であった。これ以前のムガル帝国には明僚な官僚機構はなく,軍人の位階もはっきりしていなかった。1570年代半ばの改革によって,軍人も高官も等しく,マンサブを,皇帝から与えられ,序列づけられることとなった。その細目は,必ずしも明らかになっていないが,数値で表示されるマンサブを,10位から臣下としての最高の5,000位まで66段階におき,軍人も官吏も最下位につき,何らかの功績があるごとに上に昇進していく仕組みとなっていた。マンサブを〈もつもの(dar はペルシア語の動詞 dashtan「もつ」の語根)〉という意味である。したがって,マンサブダールは,最下位から最上位まですべてをさす語であるが,実際には,ムガル時代中期以降のいい方として,中級以下の軍人・官吏をさすようになっていたらしい。この制度は,成立時と,のちに発展した形では,かなりの変更がみられる。17世紀の制度では,1,000位以上の上層のウマラー(amir の複数形)と呼ばれる「貴族」層は,かなり世襲的要素が強く,1,000位以下の中・下層とは違ったムガル帝国の支配層をなしていたようである。一般にマンサブダールは,ザート位 zat(「人」の意),サワール位(「馬」の意)の2重の位階で序列づけられた。前者は,自らのための給与,後者は帝国のための騎馬を維持するための手当てが,それぞれの位階ごとに決められていた。そのための施行細則はきわめて複雑で,全体を見通すことは難しいが,個々のケースごとの手引書があったらしく,給与関係の官吏(バフシー)は,個々のマンサブダールが,昇進するごとに,または一時的な役職につくごとに,手引書にてらし,個人あての給与,騎馬維持のための手当てを決め,その合計額と等しい収入をもたらすはずの土地をそれぞれに割りあてていた。