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●マワーリー

アジア アジア AD 

 アラビア語のマウラーの複数形。マウラーは,コーランでは,守護者・援助者・後見人の意であり(47章11節),次いで主・主人の意があり,この意味からアッラーをさすために用いられている(6章12節)。ほかには,被保護民または属民を意味する言葉として,古来アラビア社会にあった一種の社会階級で,いわば奴隷階級よりは上位であったが,自由民の権利はなく,奴隷と自由民との中間階級を形成していた。時代的に述べてみると,前イスラーム時代および初期イスラーム時代のアラブの部族社会では,解放奴隷は自由人になるのではなく,旧主人のマウラー(被護民)とされ,しばしば家庭内にとどまった。イスラームの征服戦争時代には,解放された捕虜も自由人となるのではなく,その配分を受けた旧所有者のマウラーとされ,その家の一員とされた。時代が下ってウマイア朝時代になると,自由身分のアラブだけでなく,非アラブ民・非イスラーム教徒たちで,アラブの有力者の保護を受け,そのマウラーとなる者が出てきた。非アラブ民族の者が改宗してムスリムになるのも,保護関係を通じてであり,このような非アラブ族のムスリムの増加により,いわゆるマワーリー問題がしばしば引き起こされるようになったのである。征服地の非アラブ系住民の改宗は古くからあったが,マワーリー問題がイスラーム史上重要な意義をもつようになったのは7世紀末ごろからで,シリアとイラクとで,原住民のイスラーム教への改宗が盛んになるにつれて,彼らの租税負担の問題などもからんで,イラク総督ハッジャージュ=ブン=ユースフが,マワーリー弾圧政策をとったときにおいてであった。彼らに加えられた弾圧のために,マワーリーは反アラブから反ウマイア朝的傾向を示すにいたり,やがて反スンナの立場から,シーア派運動に参加する者が多かった。アッバース朝になると,彼らの経済的地位は向上したが,社会的にはアラブのイスラーム教徒に比べて多くの制約が存していた。マワーリーとアラブとの社会的地位の完全な平等化は,トルコ人の治下でようやく達成され,マワーリーの語そのものも使われなくなった。