●円山応挙 まるやまおうきょ
アジア 日本 AD1733 江戸時代
1733〜95(享保18〜寛政7) 江戸中期の画家で円山派の祖。名はテイ※注1※,1766年に応挙と改名。字は仲選。通称を主水(もんど)といい,夏雲・仙嶺と号した。丹波国穴太(あのう)村に農民の子として生まれる。幼少のころ,京都へ出て狩野派の石田幽汀に絵を学んだ。そのかたわら覗機械(のぞきからくり)のための眼鏡絵を描き,西洋の透視遠近法や陰影法に接した。また中国の宋元画や清代の沈南蘋(しんなんぴん)の花鳥画から写生の手法を学び,『昆虫写生帖』などで克明な写生を繰り返した。応挙の写生は花鳥虫魚だけではなく,人物や風景にも及んでいる。応挙が学びえたものを総合して,自らの画風を確立するのは,ほぼ40歳ころであった。代表作には,円満院の『難福図巻』『雪松図屏風』『保津川図屏風』,兵庫県香住町の大乗寺襖絵などがある。平明でわかりやすい作品は人気を呼び,弟子も多い。その画系は円山・四条派と呼ばれる。
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