●マラトンの戦い マラトンのたたかい
BC490
マラトンはアテナイの北東約27kmの海岸沿いの平野。第2次ペルシア戦争の激戦地。3次にわたる戦争を通じて,このとき初めてギリシア軍は勝利を得た。イオニア反乱を支援したギリシア人に対する懲罰のため,前490年,ダレイオスはダティス,アルタフェルネスの指揮下に,海路によるギリシア遠征を決定した。ペルシア軍は,マラトンがペルシア騎兵隊の活動に最も好都合であると判断したペイシストラトスの子ヒッピアスの誘導で,マラトンに上陸した。この危機に直面して,アテナイ人の世論は抗戦派と和平派に分かれたが,ペルシア軍の侵略を逃がれてトラキアから帰国したミルティアデスが市民を説得し,ペルシア軍との対決を決議させた。アテナイはこのとき,スパルタからの援助は得られず,わずかにプラタイアが援軍を提供しただけであった。長時間の戦闘ののちにペルシア軍は船上に逃がれ,海上からアテナイを攻撃しようとしたが,アテナイ軍が速やかにアテナイに引き返したのをみて,アジアに引き上げて行った。ヘロドトスによれば,この戦いにおける戦死者はペルシア側が6,400人であったのに対して,アテナイ側はわずかに192人であったといわれる。それまでのギリシア人にとっては,ペルシア人は恐怖の的であったが,この戦いにおけるアテナイ重装歩兵のめざましい活躍は,ペルシア軍の騎兵・弓兵に対する圧倒的な威力を発揮した。ここでアテナイ人は,貴族的な一騎討ちに代わる重装歩兵の密集戦術の力を十分に示した。