●マヤ文明 マヤぶんめい
北アメリカ グアテマラ共和国 AD
アステカ文明とならぶメソアメリカの代表的な古代文明。メキシコ盆地を中心とするアステカ文明に対して,ユカタン半島,グァテマラ高地,低地など,メソアメリカの熱帯雨林地帯において開花した。テオティワカン,トルテカにいたるメキシコ系の文化と共通の要素をもつが,文化的に非常に強烈な独自のスタイルを特徴とする。【起源】ユカタン半島には前1000年ころより,トウモロコシを中心とする農耕文化が興り,メキシコ湾岸のオルメカ文明の強い影響を受け,前300年ころよりその文化を発展させた独自の文明圏を形成しはじめた。グァテマラ高地のカミナルフュはこの時期の初期マヤの代表的神殿都市であり,マヤ文化の基本的様式が確立されている。200〜300年になるとカミナルフュは衰退に向かい,以後,マヤ文明の中心は,グァテマラ北部低地のペテン地方から,ウスマシンタ川流域にいたる諸地方に移った。
【マヤ古典期】300年から900年ころまでマヤは古典期と呼ばれる隆盛の時代を迎えるが,600年を境として前期と後期に2分される。古典期前期には,メキシコ高原のテオティワカンの直接的影響が認められ,交易による平和的手段によるものか,軍事的制圧によるものか,この時期のグァテマラのマヤ文化を活性化した。古典期後期の文化は,ペテン地方を中心として栄え,ティカル,ワシャクトゥン,パレンケ,コパンなどの大祭祀センターがつくられた。ユカタン半島のウシュマルにも古典マヤの宗教文化は花開き,プウク=スタイルと呼ばれる壮麗な建築群を残している。ピラミッド・擬似アーチ・神殿などの建造物,ジャガー神の石彫,神聖文字,高度な天文学,数学などが,この時代の文化的特色である。マヤ古典文明は,800年ころ最盛期を迎えるが,それから約100年たった10世紀ころ,急激に衰退し,大祭祀センターはつぎつぎと放棄された。
【新マヤ】古典期マヤの急激な衰退については古来謎とされ,内乱説・原始焼畑農耕による土壌荒廃説などが唱えられてきたが,最近では,メキシコ系文化の急激な浸透・征服説が有力とみられている。その後,10世紀末,メキシコ中央高原のトルテカ系の軍事集団が侵入し,ユカタン半島を支配し,マヤ=トルテカの文化要素をもつチチェン=イツァを建設した。同時期のグァテマラの神殿都市,ウタトラン,イシムチェなどにもメキシコ的な様式がみられ,マヤ全体に強い影響を与えたことがわかる。ついで13世紀のはじめに,タバスコ地方のイツァ族が侵入し,一部はチチェン=イツァに居を定め,一部は,その東方にマヤパン市を建設した。マヤパンは4平方kmにおよぶ巨大な遺跡で1万人以上の人口を擁する城砦都市であったと思われる。イツァ族のココム家が覇権を握っていたが,15世紀の中ごろ,チチェン=イツァとマヤパンのあいだでおこった内乱によってココム家は滅亡し,以後,十数の小首長国に分裂し,統一政体が現れないまま,16世紀のスペイン人による征服を迎えた。
【マヤ文化・宗教】マヤ社会は,血統によって厳しく社会的地位が定められた階層社会を形成していた。神官・戦士・政治的指導者・商人などは,アルメエンと呼ばれる貴族階層に属し,下に一般平民と戦争の捕虜などからなる奴隷階層を従えている。貴族階層は,天文観測を基にする祭祀にたずさわり,非常に複雑で体系的な暦法を発達させた。また,暦・王の事蹟などを記録する絵文字・数字を生み出し,いくつかの絵文書を残している。マヤの宇宙観,二元的神性は,メキシコのトルテカ・アステカ文明との類似がみられ,先史時代のメソアメリカの文化における強力な統一的勢力の存在がうかがわれる。このようなマヤ文明も,1528年に始まるスペイン人の征服によって解体したが,その後,20世紀の初期にいたるまでマヤ族の,中央政府に対する抵抗がつづけられてきた。
〔参考文献〕石田英一郎『マヤ文明』中公新書
増田義郎『沈黙の世界史12』新潮社
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