●間宮林蔵 まみやりんぞう
アジア 日本 AD1775 江戸時代
1775〜1844(安永4〜弘化1)江戸末期の探検家。常陸国筑波郡上平柳村(伊奈村上平柳),父間宮庄兵衛,母クマ。若いころより数理的天稟をもち怜悧,岡堰創設組み方,普請役をつとめたのを契機に江戸へ出る。そして村上島之丞に師事し,1801年(享和1)になって,蝦夷本島一周。その後一時退職,復職後,蝦夷地および南千島測量。1807年(文化4)ロシア軍艦がカラフトのシャナ会所を襲撃の際防戦したが翌年放棄,その後林蔵は箱館へ帰る。1808年(文化5),カラフト探検を命ぜられる。1809年『満州仮府行』,1810年『東韃紀行』・『北蝦夷図説』をかく。1811年,伊能忠敬に測量術を習う。1812年ゴロウニン訪問,1817年忠敬に史料提供,1822年(文政11)江戸へ帰る。1822年シーボルト事件,高橋景保投獄は,林蔵の密告。のち隠密として活躍。1832年(天保3)シーボルトの『日本』で間宮海峡の名は世界に紹介される。その後水戸藩へ出入し,川路聖謨に近づいたが,1844年2月26日,江戸深川の自宅で死亡する。
![]()