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●マネ

ヨーロッパ フランス共和国 AD1832 七月王政

 1832〜83 パリに生まれる。裁判官であった父の希望で法科大学を受けて失敗,16歳のとき商船学校の練習生として南米に行き,帰国後画家を志し歴史画家についたがまもなくやめ,クールベの写実主義や,目のあたりみた南米の明るい風光をモットーとして,ルーブル美術館の古典名画の模写に励んだ。やがて31歳のとき『草上の昼食』をサロンに出品したが落選。つづいて『オランピア』も嘲笑と悪評をかった。いずれも絵画上の革新性は理解されず通俗的な不道徳の問題として片付けられた。時代を超えて芸術の真実性を追求する天才の宿命であった。たちまちマネを中心にカフェ=ゲルボアに一群の青年画家たち,ピサロ・モネ・シスレールノワールセザンヌ・ドガらのほかに,ゾラ・ビュルティクラデルら小説家・評論家までが集まり壮観であった。まさに近代絵画史上稀にみる革命的状況であった。晩年彼は印象派から離れるが,彼の存在は印象派の誕生から発展までを導いた。