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●マナ

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【定義】今日の比較宗教学宗教人類学の用法では,非人格的な超自然力であり,善悪両用に用いられ,人間・動植物・超自然的存在・自然物・加工物などにやどり,転移・感染や蓄積も可能な呪力を一般にさす。しかし,この語は元来メラネシア・ポリネシアで用いられているもので,イギリスのコドリントンがその著『メラネシア人 The Melanesians』(1891)で紹介したことから有名になったものである。メラネシアではマナの語は,名詞・形容詞・動詞としても用いられ,ある存在の属性・状態を表現するものとみられている。コドリントンの著作から例をあげよう。〈ある男が戦いで勝ったとしても,それは彼の強い腕力,目のすばやい動き,戦闘準備の万全さによるのではない。彼が強者となったのは,きっと精霊や死んだ戦士のマナをえたからであり,それは彼の首にかけた石の護符,帯につけた草の房,弓手の指にさげた歯,超自然的助力を願って唱えられた一定の文句を通して彼に伝えられたのである。また,ある男の豚の数が増え,畑も農作だとしたならば,それは彼が勤勉で家畜や農作物をよく手入れしたからではなく,彼が豚やヤム芋用のマナが充満した石をもっていたからである〉。

【類似した諸観念】コドリントンが報告した太平洋地域のマナと類似した観念は,世界のさまざまな地域でもみいだされている。インドネシアとその周辺の諸民族にみられるmenang や monang などの観念もその一つであり,一部の学者はメラネシアのマナはこれらの語が転訛したものではないかと主張した。そのほか,アメリカ=インディアンでは,イロクォイ族系の orenda・スー族系の wakan・アルゴンキン族系の manitu など,マダガスカル島の hasina,アラブ人の baraka,オーストラリア,クイーンズランドのカビ族の manngur などであり,黒アフリカのバンツー系諸種族からも類似観念の存在が報告されている。

【マナをめぐる諸学説】コドリントンは『メラネシア人』のなかで,〈マナは本質的にそれを生みだした人物に属する〉と述べ,マナと人格との結びつきに注目した。しかし,その後の研究は,むしろマナの非人格性を強調する方向に進んだ。そして,20世紀の初頭には,宗教起源論との関連で,マナのような非人格的力を基盤としたプレアニミズムもしくはアニマティズムといった考え方が盛んに論じられるようになった。その流れにおいて,イギリスの人類学者マレットは,師のタイラーE.B.Tylor が宗教の起源とみなしたアニミズム概念は定義の際に霊的存在を偏重しすぎており,マナなどの非人格的力への信仰も等しく考慮すべきであると主張した。ただし彼は,宗教起源に関して,アニミズムに先行するプレアニミズムの段階が存在していたとまでは極論していないようである。また,デュルケームを中心とするフランスの「社会学年報 L’Annee Sociologique」派もマナ観念を重視した。ユベールとモースはその『呪術論』において,またデュルケーム自身はその著『宗教の原初形態』でトーテミズム Totemism を論じる際に,ともにマナ的な非人格的力の重要性を指摘した。さらに,最近ではフランスの構造主義的人類学者レヴィ=ストロースは,その『モース論』において,マナは〈内容のない形式,もしくはより正確には純粋の象徴〉であり,構造言語学でいう“ゼロ音素”と類似した〈ゼロの象徴的価値〉を示すものとみなしている。

〔参考文献〕R.R.Marett,“Mana”“Encyclopaedia of Religion and Ethics”1908〜26,T.&T. Clark

古野清人古野清人著作集第2巻』1973,三一書房

M.モース,有地享他訳『社会学と人類学 I』1973,弘文堂(レヴィ=ストロースの『モース論』をも含む)