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●間取り まどり

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 室割りのことで,最も古い型は原始住居にみられる炉を中心とする一室と土間と床座を設けた一間(ひとま)型。縄文時代の竪穴住居は,中央あたりに石で囲んだ炉がつくられており,愛知県の鞍船遺跡,埼玉県の南遺跡(縄文前期)である。弥生時代以降は奥の壁際にカマドがつくられた。竪穴住居に板張の床(ゆか)が長野県平出遺跡で発見された。土間に床が張られるようになった初めは,土間に藁を敷くことから始まり,つぎにそれらのうちに,板張り床の上に莚などを敷いたものへ発展した。これらの土間と床張の組み合わせであるが,中心柱(大黒柱)を境にして,3分の1が板の間,土間は作業の場として使用した。在来からの炉が板の間の大黒柱の側に位置し,炉の座席の制が現在もそのまま残っている。平安時代の都の寝殿造りの邸宅が,やがて農村へもその風が伝播し,なかでも板の間の部分が寝間に利用され,現在の広間中心の間取りが広く分布するようになった。鎌倉時代になると家居の構えが,接客法の改革に変わり,武家時代になると,昔の寝殿造りでは都合が悪くなり,身分階級の武家階級に代わり上・中・下と格付けられ室が設けられた。平安時代の納戸を加え,4室からなる田の字型の間取りができた。平安時代の風習の濃い東北地方では,在来の広間型の間取りで,新たな時代に即応した。また,上下(かみ・しも)の座敷が折衷的に加えられた。近世になると書院造りの最も重要な要素である座敷飾を構成する床(とこ)や違棚・付書院・平書院が設けられ,農家住宅のなかに設けられるにいたった。

【間取り型】1間型から広間と座敷のある2室型である。民家の古い形式に3室原型がある。これは土間に接して上手(かみて)に納戸(なんど)と座敷,下手(しもて)に広い台所という3間取りは全国に広く分布している。整形(田の字型)では部屋割が碁磐目に整然と縦横に仕切られて,4つ目間取りとも呼ばれる。間口と奥行の室数が一定しており,全国的に多い。広間型は炉のある広い室(広間・常居)を中心にしてその周囲にヘヤ・ネマなどの小室が配置されたものである。この広間型には2種類に分かれ,茶の間・台所が広間となる場合,居間に相当する部屋が広くなった場合がある。この型式は北陸から東北地方に広く分布している。並列型は2室とか3室などの室が横に一列に並び奥行は一室であり,この型式は原始型に近く,山村に多い日向の椎葉,四国の剣山,東北地方などの古い農家にみられる。喰違型の間取りは縦と横の一方を喰違わせて室の大小をつくる方法で,この分布は鳥取・岡山・兵庫・静岡・長野・群馬・神奈川・岩手・青森などの古い農家にみられる。片側式住居と呼ばれる町屋の間取りは,土間の通り庭を表から店・座敷・台所となる。裏に炊事場がある。間取りも長い暮しの中で,時代的・自然的・社会的条件によって地方的特色がみられる。鹿児島の2棟造,佐賀のくど造,奈良のたかへ造,松本平の本棟造,五箇山や白川郷の合掌造,武蔵野の鍵家,甲州の切破風造,秋田・山形の中門造,南部の曲家やなどに間取りの変化がみられる。

【間取りの呼び方】ヘヤの呼び方も地方により異なる。玄関をミセ・オモテ・デイ,台所はオイエ・オエ・オウエ・オイベなどと称する。母屋の接客用の室をデ・デイ(出居)といい東北地方では表向きのあがりばなの室がナカマで,その奥をデイと呼び,回縁のついた座敷では裏の奥を大デイ,その前を小デイなどと呼んでいる。古くはイデイ・デイ・オデエなどと変化,古い形式の名残りである。小豆島では客間をデイと呼び,そこには床を設け,横に仏壇がある。大分県では上手の座敷にあたるところ,デイをオザと呼ぶ。日向の高千穂では土間の入口に臨んで炉の間をゴゼンという。ゴゼンは御前,すなわちオマエは漢音である。オマエは秋田のオメア・信州のオメエ・播磨などのオイエなどと同じである。寝室をヘヤとかネマと呼ぶところは多い。

〔参考文献〕今和次郎『日本の民家』1943,相模書房

蔵田周忠『民家帖』1955,古今書院

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