●マトゥラー美術 マトゥラーびじゅつ
アジア インド AD
インドのデリーの南方160km,ジャムナ川右岸にある宗教都市マトゥラーは古くよりヒンドゥー教,とくにクリシュナ信仰の中心をなしてきたが,また紀元前から近代までつづく美術の中心地で,市の内外には各時代の遺跡が多数散在し,とくにマウルヤ朝よりクシャーナ朝をへてグプタ朝にいたる作品は,石彫やテラコッタ(素焼き)に限られるが,インド美術史上重要な意味をもっている。これはマトゥラーが,西北インドと中インドを結ぶ古代通商路上の要地で,経済的にも発展したことによるが,とくにクシャーナ朝時代を中心とする前後の期間(100〜350)に行われた美術をさす。マウルヤ朝かそれ以前のものは,テラコッタ作品の素朴なものが多いが,ジュンガ朝にかけてだんだん精巧で写実的なものがつくられるようになった。マウルヤ時代の代表作は,パールカム出土のヤクシャ像で重量感にあふれた堂々たる巨像である。ジュンガ朝とその直後の石彫には玉垣・門戸口などの断片にヤクシャ女・蓮華文様・男女像などの浮彫があるが,それはかなり自由で,肉感的な表現も多く,出来ばえもすばらしい。クシャーナ時代に入ると,造形活動は一段と活発化したらしく,優秀な作品が最も多く残されている。塔婆の浮彫では,仏伝や本生図が中心で,以前とはかなりの技法の変化がみられ,力強さ・荒っぽさがみえる。また,仏像は,古代初期インド彫刻の伝統を受けた独特の様式をもち,最初は菩薩として男性的・豪快なものがつくられた。身体の細部に特徴があり,頭部や衣類にガンダーラの影響がみられるが,大部分はマトゥラー独特の型で純インド様式。インド中部の仏像製作の中心はマトゥラーであった。当地でつくられた巨像で,遠く仏跡地まで運ばれたものも少なくなく,マトゥラーの名声は高かった。菩薩像・仏像のほかに,ジナ教の始祖ジナや,古くからインド人の崇拝した神々の像,さらにはヒンドゥー教の神々の像も多い。人物像としては,カニシカ王をはじめとする王たちの像・在家信者の像がある。それらはインド服を着るインド人もあり,三角帽をかぶりズボンをはいたペルシア人もある。女性像にしても,日常生活のさまざまな体位が刻まれ,アフガニスタンでは,象牙製の化粧する女人像がマトゥラー製として注目され,男女が仲睦まじく寄り添った享楽的なものである。グプタ時代のマトゥラーの仏像は,クシャーナ時代から自然に発達したものであるが,インドの仏像の典型として,その後インド全般に普及した。身に密着したスケスケの薄衣の官能的表現に特色のあるグプタ彫刻は,ガンダーラ芸術にみられたギリシアの影響が消化され,インド化されている。このグプタ様式が東南では,ヴェトナム・ジャワ,そのほかの地方に,東北では中国・朝鮮から日本にまで伝えられた。このように,東アジア全域に大きな影響力をもつグプタ様式の起源がマトゥラーにある。まさにガンダーラの仏像に劣らぬ意義をもつといえよう。グプタ時代以降のマトゥラー美術の活動はほとんどみられず,その歴史も明らかでない。