●祭り まつり
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集団による儀礼行動の一つ。本来は原始・古代宗教の集団儀礼を総称し,現代では文化的に一般化されて,祝賀的な社会行事を誇称するのによく使われることばとなっている。日本の祭りは伝統文化として重要であり,神社神道では,古代をより伝承する宗教として今でも祭りを中心にしているほどだが,世界の宗教文化史上にも注目すべき現象である。日本語のマツリは,マツル・マツラフという,上位の者に奉仕する意味の動詞の名詞形とみられ,語源的にはマツとマチは同根であって,みえないものがみえる場所,接触できる場所へ来るのを歓待する意味をもつ。しかし漢字の「祭」は,もと祭壇上に犠牲を供える象形文字で,ほかには人々の集まりを示す「会」が祭りに相当する。古代中国の農村では,土地の神「社」を祭る春秋の野外行事を「社会」と称したという。仏教の祭りを一般に「法会(ほうえ)」といい,中世に始まった京都の祇園祭りも,かつては「祇園会」と呼ばれた。祭りと訳される西欧語の festival(イギリス)・fete(フランス)・Fest(ドイツ)・fiesta(スペイン)などは,ラテン語の fest に語源をもつ。いずれも現象的には,日常生活から区切られた特定の日時と場所で,集団的に演じられる一種の社会劇(socio-drama)であるが,それが祭りであるためには,信仰的または潜在的に抱かれている社会理念が,一定の儀礼様式のなかでその場にまざまざと実現するという際立った喜びの体験を集まった人びとが共有しなければならない。宗教の祭りであれば,常識的な時空の営みを超えて展開する神話的な世界を背景にして神と人とがリアルに交流するという,日常的に潜在する宗教理念が集約的に実現する神聖な機会となる。【祭りの世界】祭りの前提には,祭りに実現されるべき神話的な世界観と,それを共有して祭りを執行する集団とが考えられる。原始社会には,部族と自然との始原を物語る神話が生きていて,祭りの場でそれが再現される。祭りは,現実の生活を神話の世界に同一化することにほかならない。つまり現在の生活世界が祖先以来の宇宙論的な永遠の意味を帯びるのである。たとえば,オーストラリアの現住民(アボリジニ)は,家族単位に移動する労働の生活と,部族全体が祭りの場に集合する生活とを繰り返す。エスキモー社会でも,冬は部族が集合して長期にわたる祭りが行われ,すべての事柄が共同で処理されるが,夏には家族同士たがいに孤立して狩猟・採集の生活を営む。北米インディアンの場合,クワキウトル族などの平原部族では夏の分散と冬の集中と生活の交代がみられ,冬には神聖な歌舞儀礼を演じる宗教結社を形成して部族の祭りを行う。ホピ族などの農耕部族は,トウモロコシ中心の生産暦で祭りを行い,半地下の祭場(キヴァ)に仮面の祖霊(カチナ)を迎えて厳粛な儀式と賑やかな祝祭を繰り返す。いずれの場合も舞踏や演劇で,太初に部族生活の基をきずいた神話的事件を劇的に再現し,その場で成年男子が祖霊に化身して若者たちの成人(入社)式が執行される。原始宗教はおもに舞踏劇を特色とする。宗教感情を踊るとは,神話の摂理を現出することである。原始神話は,ことば以前に舞踏のリズムから生まれたとさえいわれる。神話と儀礼とが混然として,祭りに集中するのである。メソポタミアやエジプトの古代社会には,部族の守護神に家畜の犠牲を捧げ,族長を祭司とする祭りがあった。ギリシアやローマにも,家・氏族・都市の各守護神に農産物の初穂(初子)を供え,神々の結婚や饗宴を実演して,自然と社会との一元的な生命力の豊饒を祈った。古代ヨーロッパにも,部族ごとに冬至や春の祭りがあり,古代インドにも巡礼の聖地や村落に「季節祭」が無数に行われて現在に至っている。古代中国でも,天帝や祖先に対する族長祭祀のほかに,村落の土地神と穀物神(社と稷)の祭りが春秋に催されていた。日本にも,古典神話の天岩戸説話や『万葉集』や「古風土記」に記された歌垣(かがい)に祭りの原型がうかがわれるが,いずれも天皇以下の氏族(ウヂ)や村落(ムラ)の宗教は祭りにほかならない。葬礼さえも歌舞をもって祭られたのであった。古典的な祭りには,血族や地域を単位とする生活共同体が,季節的に神聖な秩序の支配する劇的な世界となって,祖霊的な守護神と成員とが集団的に交歓する構造のものが多い。日本各地に今も伝承されている祭りの多くは,地域住民が神の子(氏子・産子)として祖神(氏神・産土)を歓待する形で構成される。丁重に招来された神々は,原創造の由緒に沿って神話さながらに活躍する。神が悪魔と闘争して勝利するとともに,夜のカオス(混沌)が退いてコスモス(秩序)の夜明けがよみがえる。冬における万物の死の危機が,冬至や春先の祭りにおいて地母神の天父神との結婚と懐胎の成就によって克服される。いずれも,現実の世界が創造の原点に立ち戻ることによって,根源的生命の再生が保証されるのである。
【祭りと歴史】ところが,いわゆる歴史時代に入って史実そのものが神の啓示とみなされてくると,祭りは神話世界の再来,つまり宇宙の再創造ではなくなって,たんに神話化された過去の記念となる。永遠回帰の世界観を否定する形で,歴史の一回起的事態を真理とする宗教が登場すると,祭り本来の季節的な宇宙再生の象徴力が衰え,代わりに神聖な歴史的過去を記念する行事が中心になる。キリスト教会は,イエス=キリストの生と死と復活とをめぐる信仰上の歴史的な奇跡を記念する祭りとして,古代宗教の「季節祭」を変質させた。かつて冬至に春の再来を祈ったローマ宗教の祭り,サチュルナリアは,歴史上の神の子イエスの生誕を記念するクリスマスとなり,地母神キュベレとその娘アッティスの受難と再生とを実現した春分の祭り,ヒラリアも,キリストの死と復活の奇跡を歴史上の真実として記念する祭り,イースタに引き継がれ,聖母マリアの祭りも,かつては大地の豊饒を年ごとに祝福した地母神の祭りにもとづいている。つまり本来の「季節祭」を「記念祭」たらしめたのである。宇宙的な生命世界の季節的再生が宗教の真理から疎外され,西欧ではその名残りの行事が単なる民俗芸能として,教会典礼の周辺に押しやられているにすぎない。典礼の儀礼的救済よりも,信仰による内面的救済を重んじるプロテスタント教会が定着した地域では,祭りがさらに世俗化している。しかしその反面,北アメリカの社会のように,建国の歴史や土地の開拓史を栄光化した「過去の祭化」現象がみられる。かつての華やかな黄金時代をパレードなどに再現し,歴史的由緒を強調することによって,普段は平板でしかない都会生活に一時的にせよ潤いのある立体的な奥行をもたらすのである。国際日として10月の第2月曜日(カナダ)あるいは11月の第4木曜日(アメリカ)にそれぞれ全国で祝われる収穫感謝祭は,1620年にメイ=フラワー号でイギリスを脱出してプリマスに移住した清教徒団が,開拓最初の収穫を神に感謝した故事を記念したものである。また5月30日の戦没将兵記念日も,リンカーン大統領と南北戦争死者の記念日から始まっている。しかも興味深いのは,前者にはイスラエル民族のエジプト脱出とパレスチナ建国がその神話的背景をなしているし,後者はイエス=キリストの十字架上の犠牲になぞらえられている。1789年7月14日は,フランス人にとって革命の史実と超史実との二重構造をなしている。このバスティーユ事件は,一種の神話的過去として現在のフランス社会を規制する世界像となっており,毎年のパリ祭に記念される一方で,政治的危機にはすぐにパリ=コミューンがよみがえる背景ともなっている。現代政治の大衆行動には,祝祭の異常な集団的昂揚に共通するものがある。かつてのドイツ=ナチ党は,無数の旗と夜の松明に制服の勇壮な分列行進を配して,大衆の集団洗脳に成功した。1871年3月,ドイツ軍包囲下のパリに結成されたコミューンは,一時的に「自由・平等・博愛」の理念を実現させた祭りでもあったといわれる。日本でも1960年のいわゆる安保闘争に発した反体制運動や大学紛争の場面に,現象的には祭りの臨場感を現出したものがあった。このように,日常の常識的次元では到底実現されないはずの理想郷(ユートピア)が集団的昂揚のなかで瞬間的にしろ実像化する現象も広意の祭りであろう。たとえ帰属集団が明確でなくても,世代や階層の意識をともにする人々が何らかの催しに集まれば,祭りの現象的位相が醸成されて,彼らが共通に抱く世界観が象徴的に現実味を帯びることがある。1969年の夏,アメリカ東部の片田舎の農場に40万人もの若者を魅きつけたウッドストック音楽祭は,彼らが共有した平和への希求(ヴェトナム反戦)と人間性回復の願いをみごとに歌い上げた。それ以来これを範として世界各地でロックを中心の野外音楽祭が催されたが,これほどの成功例はついに実現しなかった。商業主義の侵害が,その有力な障害の一つに考えられる。日本では1974年3月に催された福島県郡山市の市民祭に,野心的な企画として若者に反響を呼んだ野外音楽祭が,音楽を通じた心の連帯を求める約7万の若者を集め,在米の前衛芸術家オノ=ヨーコをいわば神女的存在に仕立あげて,ある程度の成功を収めたが,やはり郡山の一般市民に理解されず1度の試みに終わっている。その点では,戦前からの港祭りやカーニバルを再編成して,1971年以来毎年5月に行われている神戸市民祭は,新興の港湾都市という国際性と市民の先進性とを活用して伝統に捕われない市民レベルの野心的な企画を打ち出すなど,大都市の新しい祭りにしては稀にみる成功を収めた。しかしこれも,数年後におこった暴走族をめぐる騒動をきっかけにして,その活気も今はみられない。つまり本来の祭りは,やはり定期的に繰り返されて,しかも世代的にも継承されていくべきものである。
【遊びとドラマ】いずれにせよ,祭りの世界は,ある時間と空間のなかにある行為や卓物を,実利的な常識を離れた独特の意味づけの世界のなかにとり込んでしまう。古代学者ケレニイは,本来の祭りには「祝祭性」としかいいようのない,ほかに還元不能の特殊な位相があって,それを信じると否とにかかわりなく,日常とは違う人間的実存の次元をなし,そこで行われる行事はすべて祭りになったとする。彼によれば,それは舞踊の伴奏音楽のごとくである。この伴奏がないと滑稽で無意味な手振りになってしまう踊りの所作に,ある可能性を与える音楽である。自然の季節的兆候・伝統と習慣によって祭りが想起されさえすれば,人は非日常的な存在と創造とに自分も参与する能力を帯びる。この場合,祭りは,現実に願望対象を直接入手するための手段ではない。祭る者にとっては,客観的所為と信じるものの表出である。祭りの創造とは,宇宙の秩序が心的現実となることであるから,祭りは日常的にものをつくる行為とはかかわりがない。純粋に人間的な努力や日常義務の遂行などは,祭りにならないのである。その意味で,祭りは「遊び」や「夢」,幻想やドラマの世界に似ている。文化哲学者ホイジンガは,ありきたりの生活を排除した時空のなかで,独特の法則と真の自由とが統一する位相を示す現象として,さらに「遊び」と祭りの共通点を指摘する。しかも「遊び」は,信じている状態と偽り,つくっている状態との区別を解消するが,祭りもまた意識上の信と不信という次元を超えた,独特の実在空間を現出することをめざす。演劇の役者は,たとえ現実には架空の役であろうと,舞台上の演技によってドラマのなかでリアルに役を活かすことに専念する。詩の表現する幻想や劇場内のドラマ世界は,日常的には偽りでありながら,より強烈な人間の真実を観客に訴える。人類学者は,未開人が一種の「偽装」を得意とし,偽りを承知の上で欺されたり,子供のままごと遊びのように役柄になりきって演じることができる,立派な役者でも観客でもあると指摘している。そしてこれは,けっして欺まんでも不真面目でもない。ホイジンガは,この聖なる真面目さとみせかけや冗談ごととの微妙な結びつきこそ,祭りが「遊び」の概念をもって最もよく理解される点であるとする。神道学者は,日本古代の神話表現のなかに祭儀的な「見立て」の論理を発見している。いわば「虚実皮膜のあいだ」にこそ,みえないものがみえてくる。日本の神は古来,存在論的に実在を要請されるのではなく,いわば現象論的に祭りの場で体験されたのである。
【夜と夢】オーストラリア原住民は,祭りが展開する神話的時間の構造が,日常の時間や歴史とは次元の違う「夢の時」なのだと報告している。祭りは,歴史を無視して現在をそのまま神聖な原創造の世界に直結する。祭りのドラマは,常識上の飛躍を当然のこととして奔放に展開する意味で,「夢」の論理に即している。また夢が現実に対抗する,より根源的な真実として日常の現実をも規制している。古代以前の社会では,時間の構造が等間隔の延長ではなく,時計の振子のように,聖と俗,夜と昼,夢と現実の往復運動をなして,そこに歴史の入る余地はない。夜は眠りのときであり,万物が闇に溶ける混沌(カオス)のときである。眠りは死の世界に通じているが,古代では生と死とはたがいに相容れない範疇ではない。光が闇から生まれるように,死は生の根源でもある。古代の夜は,生と死とが混然として幽冥の世界であった。夜にこそ昼の障壁が闇に溶けて,祖霊や神霊が自由に来訪する。昼を支配する時空の分別が創造の原点に溶けて,「夢」の位相がひろがるのだ。古代文学者西郷信綱は,物語文学のなかの「夢占」による神仏との交流に注目している。物忌みして礼堂に籠ることは,たんなる手続きではなく「夜」の時間に入ることを意味し,夜の魂を活気づけて夢見勝ちにする行為であり,祭りが本来夜を徹して行われる道理がここにあるという。神の降臨や動座(神幸,じんこう)が深夜になされる例は無数にある。古代の「夜」が昼の表象と位相を異にするのであれば,「夜」は祭りの位相と連続しうる。柳田国男がかつて指摘したように,祭りに夜の「忌籠り」は大切であった。夜を徹して身を慎みつつ神を迎えることは,意志的に聖の位相を確保しておくことにほかならない。こうして夜明けに備えてこそ,そのあとにつづく昼夜を分かたぬ狂騒な祝祭も容易には俗の位相に堕落することがなかったであろう。日本には,各地に「忌寵り祭」と称される祭りが今でも多く残っている。籠りが強調されない祭りも,構造的にはほとんど夜に重要な神事を行うか,あるいは夜の延長として昼間での行事が展開する。世界各地の祭りも夜を中心に祝われてきた。古代ギリシアやローマの密儀宗教の祭りを例に引くまでもなく,イエス=キリストの降誕も聖夜に祝われ,謝肉祭や復活祭も夜を徹して行われている。しかし,一般に祭りを時間的に構造化してみると,三つの局面をみいだすことができる。宗教的な祭りを文化とする社会の生活時間は,等質の標準時間の延長ではない。自然や人生や社会の活力に即して時間も生命的に営まれており,しかも普段の日常生活を俗なるときとして祭日の聖なる時に神々を迎えることにより時間そのものを生命的に若がえさせることができる。そのための祭りの時間的構造が,その3幕構成として人類学者エドマンド=リーチが[1]形式性,[2]役割転倒性,[3]仮装性と名づけた局面である。日本の祭りでいえば,[1]は忌籠りにおいて厳粛に神を待ち迎える「神事」の段階に相当し,[2]にあたる「直会(なおらい)」をへて,[3]の「行事」すなわち神賑わいのさまざまな祭礼の催しとなる。
【祭りの倫理性】宗教史における神話と祭りの役割が狭められるにつれて,「夜」に対する「昼」の範疇が比重を増してきた。その理由の一つは,始原的混沌(カオス)から現実的な秩序ある世界(コスモス)に立ちもどることをもって再生,すなわち夜明けとみなされる構造が,すでに古代神話に現れ,さらに倫理的要請が高まるとともに,「夜=闇=悪(不浄)」と「昼=光=善(清浄)」との二元的対立が明らかになったことである。二つには,いわゆる世俗化の過程のなかで,「昼」の範疇に属する日常的な現実が宗教的にも重視されるにいたったことが考えられる。一般に人間の象徴的な思考力には,大きく分けて二つの系列があるといわれる。つまり分析的思考の所産である「昼」の体制と,結合・混同の思考にもとづく「夜」の体制とがあって,人間の思考力全体にあってはこの両者が本来は弁証法的な関係にあるべきものとされている。たとえば,「昼」の体制では光はけっして闇ではなく,天国はあくまで地獄ではないが,「夜」の体制では光は闇から,生は死から生れる。また男女の場合も一方では男は男,女は女でしかないが,他方この両性の結合において生命が誕生し,天地が結合して宇宙が一体となる。精神的にいえば,非神話化と神話化との相反する2方向である。過去6〜7世紀にわたる西欧文明は,「昼」の体制である科学によって非神話化を追求した結果,いまや魂の均衡を回復するために「夜」の体制を復活して,宗教や芸術による再神話化が求められているというみかたもある。社会人類学者ターナーは,祭りの現出する非日常的な人心の交流状態を「原共同体」と名づけた。そこでは,成員が役割や地位を通した断片的交渉ではなく,たがいに全人格的な交流を実現することのでる無構造,または反構造の位相が必ず用意されている。それは,自分と他人とが直接して文字通り「われわれ」がリアルに実感される稀な現象である。しかもそれは,瞬間的に現れても,すぐに構造化のなかで立ち消えてしまう集団表象などもある。しかしながら,現象的には持続しがたいけれど,残象としては強烈である。そこで体験される実存的充実は成員に記憶され,普段の共同体に対する彼らの帰属感(アイデンティティー)を支えるものとなる。このコミュニタスは,やがて共同体社会のモデルとして,現実の社会で日常的に規範化したり,ユートピア化したりする。これは,集団の統合と成員連帯のエトスが補強されることにほかならない。したがって祭りの習俗は,一種の共同体規範として不文律の法でもあったのである。現代の代表的なプロテスタント神学者ハーヴェイ=コックス(Harvey Cox)も,キリスト教世界における祝祭の否定こそ現代の深刻な問題だとする。コックスによれば,祭りは「意識的過度」「肯定的祝讃」「矛盾の並列呈示」の3要素からなるが,これは,人間が時間と歴史と永遠との適切な関与を質す機会を与える。祭りは,けっして浅薄で下劣ではなく,むしろ人間と社会の悲劇的矛盾を呈示することによって,真実の半面でしかない日常的現実を物神化するのを戒めるための有力な機会であることをいう。本来の祭りは,たとえ実利的に過度の経済的浪費であっても実は実存的な社会の再生をもたらす理由がここにある。
〔参考文献〕柳田国男「日本の祭」1941(『定本柳田國男集』第10巻,1962,筑摩書房)
ホイジンガ,高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』1962,中央公論社
コックス,志茂望信訳『愚者の饗宴』1971,新教出版社
薗田稔「祭−表象の構造」,村岡空編『儀礼の構造』1972,校成出版社
薗田稔「残響の彼方−神話の宗教学試論」,藤田富雄編『秘められた意味』講座宗教学4,1977,東大出版社
薗田稔,宮田登編「祭−原空間の民俗」『暦と祭事』1984,小学館
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