●松山城 まつやまじょう
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松山城は,松山市の中央にある勝山(高さ132m)に構築され,姫路城・和歌山城とならび三大連立式平山城である。1602年(慶長7)加藤嘉明,築城に着手し25年間20万石,1627年(寛永4)蒲生忠知入封7年間20万石,1635年(寛永12)松平定行15万石,以後第14代松平定昭にいたり,1869年(明治2)版籍奉還まで235年間,徳川家親藩として統治。1874年松山城本丸を公園とし,1923年(大正12)久松定謨(定昭の養嗣子)松山城跡の払い下げを受け,松山市に寄付した。1950年(昭和25)松山城郭国重要文化財に,1952年松山城跡国指定史跡に指定された。城は,山頂の本丸と麓の二の丸・三の丸(堀之内)からなる。天守閣は1642年(寛永19)五層を三層に改築したが,1784年落雷で焼失,1854年(安政1)復興した。二の丸・三の丸は明治3,5年に焼失したが,小天守閣その他着々と原型通りに復元。ロープウェイも運行して観光客も多い。