●松浦党 まつらとう
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平安時代以来肥前に栄えた一族。鎌倉・室町時代には肥前松浦4郡にわたって武士団の連合組織として割拠した。松浦党においては源氏姓で一字名を名乗ることが特徴としてあげられる。松浦党の系図は30種ほどもあり,その始祖については不明な点が残る。1019年(寛仁3)刀伊の来寇のときには松浦の前肥前介源知(さきのひぜんのすけみなもとのしる)が活躍したことが知られている。その後は宇野厨を本拠とし松浦源氏を中心に異姓の諸氏をも擬制的同族組織のなかに組み入れ,室町時代にいたっては党内の規約も定めて党の団結を固めた。南北朝時代以来,上松浦を中心に居住する上松浦党と,下松浦を中心に居住する下松浦党とに大別された。戦国時代をへて松浦党は,没落したり他領主の被官になったりしたが,下松浦党峯氏の披(ひらく)の系統である平戸松浦氏は戦国大名として成長し,1600年(慶長5)関ケ原の戦い以降旧領を安堵されて外様大名として平戸島・北松浦郡・東彼杵(そのき)郡の一部・壱岐の6万3,000石を領した。