●松永久秀 まつながひさひで
アジア 日本 AD1510 室町時代
1510〜77(永正7〜天正5)戦国時代の武将。出自は明らかでないが,細川晴元配下で阿波地方に勢力を張った三好長慶に仕え,三好氏の畿内進出に伴い,1542年久秀も南山城に進駐した。1550年代には摂津・河内・大和・山城など各地を転戦し,長慶の京都支配を助けて軍政・民政両面に関与した。弾正小弼に任じられた1560年前後には勢力も増大し,信貴山城および多聞城を築いて大和を征圧した。奈良北郊の多聞城は,天守のような櫓と豪華な屋内装飾で知られ,近世城郭の端初とも評される。1565年三好三人衆とともに京都武衛陣邸に将軍足利義輝を攻めて自害させ,また1567年筒井順慶らとの合戦で大仏殿を焼いたので,やがて下剋上の張本松永弾正として人口に膾炙された。織田信長上洛後は大和支配を許されたが,1577年突如信貴山城に拠って信長に背いた。しかし,織田信忠軍に攻められて,名物茶器平蜘蛛釜を割り,城に火を放って自刃した。