●松平慶永 まつだいらよしなが
アジア 日本 AD1828 江戸時代
1828〜90(文政11〜明治23)幕末・明治初期の政治家。福井藩主。号は春嶽。橋本左内・横井小楠らを登用・招聘し,藩校明道館の創設,洋書習学所の付設,種痘館の設立,西洋砲術・銃陣調練の開始,大砲小銃の鋳造など広範な藩政改革を推進。ペリー来航後は海防充実と幕政改革を建言。将軍継嗣問題では一橋慶喜擁立に尽力したが,安政大獄で隠居謹慎を命じられた。大老井伊直弼死後謹慎解除,1862年(文久2)政事総裁職に就任し,将軍後見職の慶喜とともに公武合体運動を推進。有志大名の一人として公議政体体制の設立に努力をつづけた。大政奉還を支援。王政復古の政変後,徳川家救済を図ったが,明治政府で議定・民部卿・大蔵卿などを歴任。1870年(明治3)公職を辞した。『逸事史補』など多くの著作がある。