●マッツィーニ
ヨーロッパ イタリア共和国 AD1805 サルデーニャ王国
1805〜72 イタリア,リソルジメント期の革命家。ジェノヴァ生まれ。宗教心の厚い母の影響で思慮深い感情豊かな読書家として成長し,1827年,ジェノヴァ大学法学部を卒業。カルボナリ党に入る。文筆活動から政治に専念するようになる。1830年サルディニア王国の警察に捕えられるが,マルセーユに逃亡。そこで狭量なセクト主義・外国援助の無邪気な期待・戦術的現実主義・教義上の譲歩,とりわけ現実的な国民的倫理観の欠如を批判して,カルボナリ党を離れ,「青年イタリア党」を結成。統一・独立・共和制を旗印にした新しい愛国主義者団体をつくって,人々のイタリア統一への自覚を生み出した。1833年革命準備,失敗,欠席裁判で死刑判決,フランスからの退却命令をへてジュネーヴに移る。青年ヨーロッパ党や青年スイス党をつくる(1834)。ロンドンに移り「イタリア労働者連合」をつくる(1840)。1843年,バンディエーラ兄弟団の失敗やその他の企ての失敗から,革命が若者を屠殺場に送っていると批判さる。49年ローマ共和制の三頭政治を組織するが,ローマにフランス軍が侵入し,マルセーユ・ジュネーヴ・パリ・ロンドンに移り,国外から1853年ミラノ,1854年ジェノヴァの革命を指導するが失敗。1860年イタリア統一ののちには,その統一のピエモンテ的解決(君主制)に反対,このため1865年メッシナの国会議員に選出されるが拒否した。また統一後,社会主義・労働運動・無政府主義がおこり,1864年第1回国際労働者協会に参加するが,このインターやバクーニンの考えにくみしえなかった。1872年ピサにて死去。
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