50音順    検 索

●マッカーサー

北アメリカ アメリカ合衆国 AD1880 

 1880〜1964 アメリカの軍人。元帥。太平洋戦争で連合国軍西南太平洋方面総司令官として抗日戦に勝利し,日本敗北後,日本占領連合国軍最高司令官(SCAP)として占領政策を遂行し,諸改革を行った。父アーサー=マッカーサーも軍人で,16歳で南北戦争,のち米西戦争にも旅団長として参加した武人である。ダグラスはその次男で,アーカンサス州に生まれ,ウエスト=ポイント士官学校を首席で卒業した。日露戦争には父に伴われて観戦,第一次世界大戦では州兵より成る「虹兵団」の参謀長となり,若冠38歳で師団長となった。戦後母校である士官学校校長となったが,1922年ルイースと結婚,同年マニラ軍管区司令官として長くフィリピンで勤務した(ルイースとは7年後離婚)。1925年史上最年少の少将(45歳),1930年50歳でフーバー政権のもとの参謀総長に任じられた。その後退官したが,1941年太平洋戦争勃発にあたり,急拠極東米軍総司令官としてフィリピン防衛にあたった。緒戦で,本間雅晴将軍の率いる日本軍に破れ,コレヒドール島からミンダナオをへて,オーストラリアに逃れた。このとき彼の〈I shall return・私は帰ってくるだろう〉のことばは名高い。1944年アメリカ・オーストラリア両軍の南西太平洋軍総司令官として反撃に転じ,ニューギニア作戦から10月,レイテ湾に上陸し連合軍を勝利に導いた。日本の敗北後,連合国軍最高司令官(SCAP)として,5年8カ月にわたって日本を単独かつ間接統治を行った。1946年10月の戦争犯罪人の逮捕・政治犯の即時釈放に始まる数々の指令にもとづいた多くの民主的改革は,戦後日本の基本的方向を形づくったといえる。1950年6月に勃発した朝鮮戦争では,再び国連軍総司令官として在日米軍を率いて出撃したが,トルーマン大統領と戦術上の対立があって解任された。

〔参考文献〕ジョン=ガンサー,木下訳『マッカーサーの謎』時事通信社

袖井林二郎『マッカーサーの二千日』中央公論社

01

02

03