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●マタギ

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 東北地方の一部で,専業猟師とその集団をいう民俗語彙。のちに,北関東・北越・東北地方のそれらをマタギと呼びならわすようになった。狩猟技術や儀礼を豊かに伝承している。近世には異風で知られ,藩の保護のもとに熊胆・熊皮を上納していたが幕末ごろから農民生活に移行し,冬場の狩猟と夏場の農耕を複合的に営むようになった。またその合間に“熊のイ”と称して熊胆はじめ薬の行商を行った。熊胆は万能の民間薬として尊ばれ,重量あたり金の価格と同値で取引された。秋田県阿仁町根子・打当(うっとう)・露熊,新潟県朝日村三面(みおもて)は代表的なマタギ集落である。

【マタギの生活】越後塩沢生まれの鈴木牧之(ぼくし)は,1828年(文政11)に上越国境地帯の湯本という湯治場で秋田マタギに遇って彼らの狩猟生活を詳しく聴取し,『秋山紀行』に著した。マタギは3〜4人で仲間を組み,湯治場を足場にわずかの米と塩ばかり調達して出猟しては,川伝いに転々と小屋に泊まりを重ねながら,川漁を中心に,魚が不足のときは狩猟を行い,獲物は上州の草津温泉へ仲間が交代で売りに行くという山中の生活である。こうした生活は春から秋にかけてであって,冬の猟期には,地元秋山郷の村人を勢子として大掛かりな熊狩りを行ったことが知られている。ここに漂泊者としてのマタギの古態をとどめている。牧之と同じころ,菅江真澄は奥州地方を旅行し,遊覧記をものしている。秋田阿仁のマタギ村についてマタギが山詞を用いること,頭が秘巻を有していることを指摘している。真澄はまた,狩装束のマタギが村のなかを歩いている様子を観察し,その異体ぶりを叙している。今日,そのふだんの生活は農民とあまり変わるところはないが,狩場においては伝統的な狩猟生活に移行する。

【マタギ組と狩小屋の生活】マタギ集落には,通常いくつかの組があり,土地によってシカリ・ヤマサキ・フジカと呼ばれる頭が統率している。頭は半ば世襲的で,狩猟技術と儀礼に熟達し,秘巻の相伝を受けている者がなる。組には階級があり上位者の命令は絶対である。山中では里詞を禁じ,山詞を用いる。また,なにかと禁忌があり,もし犯せば水垢離の罰を課すなど,とくに下位者にとっては厳しい試練に満ちている。狩小屋には山の神を祀り,朝夕にこれを祭る。

【猟法】マタギの最も得意とするのは,集団による巻狩りである。山上に射手を配し,下から勢子が獣を追い上げる。これを指揮するのは老マタギで,狩座のむかい側の山腹から動作や呼び声によって采配を振るい,射手のもとへ獣を追い込む。射手は,獣の頭部とか腋を狙って撃つ。かつては槍を用いたので,熊ならよく矯(た)めておき,月の輪を突いた。仕留めると,勝負声をあげ仲間に合図する。歳末から寒中いっぱい熊は木穴や土穴に籠る。それを狙うのが穴熊狩りである。熊には物を引き込む習性があり,シトクサで穴が塞がると自ら出てくる。そこを狙って仕留めるのである。

狩猟儀礼と信仰】仕留めた獲物はその場で皮を剥いで解体する。毛祝(けぼか)い・毛祭りと称し獲物の耳毛・背毛・爪毛などを斎串に挿して,山の神に捧げ感謝する。剥いだ皮を獲物の上に頭尾逆さにかぶせて千匹祝いをするところもある。解体の際は,まず心臓を取出し,それを小さく刻んで首肉その他とも斎串に挿し,呪文を唱えながら持つ手を替えずに焚き火で焙り,山の神に供えて豊猟を祈る。マタギの信仰する神には,大別して山の神・狩猟神・猟師の元祖の3種がある。狩猟神には,日光権現・諏訪明神・丹生明神(弘法大師)などがあり,修験が強い影響を与えている。猟師の元祖は磐司磐三郎その他となっている。山中においては,これらの神々を斎い祭るために清浄と謹慎を厳守していて,狩猟が宗教的行為にまで高められている。

〔参考文献〕千葉徳爾『狩猟伝承研究』『続狩猟伝承研究』1969,71,風間書房

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