●牧畑 まきはた
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畑作と牛馬の放牧とを輪転させて行う農法。切替畑の一種とみることもでき,隠岐島・対馬・瀬戸内の平郡島・八島・祝島などの離島にみられた。放牧した牛馬の糞が肥になるが,対馬では火を入れたこともあり,焼畑との関連が見出せる。隠岐島では一定の土地を四分し,[1]空山(あきやま,放牧後麦を作る),[2]麦山(麦収穫後小豆を播く),[3]粟山(粟か稗をつくる),[4]空無山(くなやま,大豆をつくる),という利用を無作付け地に放牧をしながら順次繰り返し,5年目にもとに戻った。対馬では3区(もと4区あった)を二分し,一方に麦・粟・めなが(小豆の一種)の順に作付け,他方は休閑させ,4年目は双方に放牧をした。土地利用型態は8年で一巡し,9年目にもとに戻った。隠岐島では牧畑は各戸に分割所有され,放牧に用いる牧は所有者にかかわりなく解放された。対馬では共有地で,各区は4年ごとにその約半分を抽籤により割替して耕作者を決め,3年つづけて耕作し,4年目は耕作が禁止された。