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●マキャヴェリ

ヨーロッパ イタリア共和国 AD1469 両シチリア王国

 1469〜1527 イタリア=ルネサンス期の思想家・歴史家・文学者。モンテスペルトリの古い家系に属す。ふつうの子と同じ人文主義的教育を受ける。1498年フィレンツェ共和国の軍事と外交を扱う十人委員会の書記局の第二書記官となる。この時から1512年までのあいだに,当時のヨーロッパ大陸の主要な政治指導者であるフランス国王12世・教皇ユリウス2世・皇帝マクシミリアヌス1世チェザレ=ボルジアらへの外交使節として出向(23回)。その外交交渉を書記官として客観的にながめ,現実の状況を委員会に正確に報告するようつとめた。このときの経験がのちの政治思想の著作や劇作に存分に生かされた。1512年ジュリアーノ=デ=メディチの復帰により解職さる。翌年ソデリーニの反メディチ陰謀加担の容疑で投獄さる。釈放後も,1521年の修道院への使節,1526年フィレンツェ城塞委員会の臨時書記官といった細事の公務以外,公務から永久に追放される。サンタンドレア=ペルクッシーナにとじこもって著作に専念せざるをえなくなる。主な著作に『君主論』(1513)・『リヴィウス論』(1515〜17)・『マンドラゴーラ』(1515〜20)・『戦術論』(1520)・『フィレンツェ史』(1520〜25)等がある。彼は“物事がいかにあるべきか”といった道徳倫理観ではイタリアの危機を救うことはできない,むしろ“物事がいかにあったか”と事態を直視することから出発し,策略や暴力(とくに見事に計算された力)も辞さないことが,そうした政治課題を達成しうると説いた。このため彼は近代的な政治学の祖や歴史学の祖だとみられる反面,1559年教皇庁の禁書目録に入れられたごとく,俗にいう“マキャヴェリズム”の悪魔の思想家ともみられてきた。