●牧野富太郎 まきのとみたろう
アジア 日本 AD1862 江戸時代
1862〜1957(文久2〜昭和32)独学で近代的植物分類学を大成,標本数十万点をのこした植物学者。土佐の人。小学校中退の原因の一つは身体虚弱による。だが,好きな植物採集で野山を歩くうち体力がつき活動を広げた。26歳で『日本植物志図篇』を自らの作画で自費出版。大学からも注目された。27歳で日本産植物に初めて日本人として学名を与え以後その命名にかかる新種1,000余,新変種1,500余にのぼる。1890年(明治23)東京小岩で発見したムジナモが牧野の名を世界に知らしめたのが始まりといえよう。31歳で東大の助手,51歳で講師となり77歳まで講師をつとめた。学歴重視の官学で厚遇には遠く,研究中心の生活は困窮をきわめ自宅付近は借金取りの見張りが絶えなかったという。そうした労苦のもと,新種の竹の一に妻の名を付しスエコザサとした挿話がある。65歳で理学博士。死後文化勲章が贈られた。『牧野植物学全集』全7巻により朝日文化賞を得た。