50音順    検 索

●曲垣平九郎 まがきへいくろう

アジア 日本 AD 

 生没年不詳。江戸時代初期の馬術の名手。名は盛澄。讃岐国(香川県)高松の城主生駒壱岐守高俊に仕えた。次のような逸話で有名。1634年(寛永11),将軍徳川家光は芝の増上寺に参詣した。その帰路,家光が愛宕山山上の梅花を所望したところ,主人に従って行列についていた曲垣平九郎が進み出て,石段を平地を行くかのように駆け上り,梅を手折って戻った。人々はこれを賞讃し,家光はこれに対しほうびとして衣服や脇差を与えたという。1640年(明正17),生駒家にお家騒動があって除封になると,曲垣も浪人となった。のちに越前藩主徳川忠長の家来となったが,忠長が罰せられ切腹するに及んで再び浪人となり,放浪の末,死んだとされる。しかし,一説によれば平九郎は伝説上の人物で,愛宕山での逸話は1854年(安政1),豊後国(大分県)臼杵城主稲葉伊予守観通の馬役雄島勝吉が愛宕山の男坂を馬でのぼりおりしたことが変じたのだともいう。